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1991.春 その11

本当に夢心地とはこの事か、、、
どうやって夕べホテルに帰って来たのか覚えてすらいない。久々にぐっすりよく眠れた。
最近、寝つきが悪いのは、結局それかよ!ってな感じによく眠れた、、、
朝、8時、キッカリ。ズドーン!の一発で俺は目が覚めた。それは日本でよく日曜日、運動会のある晴れた朝打ち上げる花火の音ではあるわけがない、、、目が覚めた瞬間、ズドーン、ズドーン、ババババババババー、いよいよパレス攻撃が始まった。
打ち合わせをしたかのようによくも8時キッカリに始めるものだ。規則正しい攻撃、、、
あわてて洋服を着た俺は向かいの渡辺さんの部屋へ向かった。(ドンドンドン、、、)(渡辺さん!渡辺さん!)渡辺さんもあわてていたのか着替え途中で、前ボタンを留めながら部屋のドアを開けて出てきた。(すごいすごい!、、、始まったよ!)部屋に入るなり大きな窓際に走った。そこはまさに戦場の特等席、パレスの丘が目の前に広がる、、、すでに重戦車が花火をちらし戦火で彩られたパノラマだ!、、、5,6台のエチオピア人民戦線の重戦車がパレスの周りを囲っているフェンスを一斉に押しつぶし、森の木々をなぎ倒し、前進しながら大砲を撃ちはなっている、、、ズドーンと打つたびに重戦車が後ろにつんのめる様がよく見てとれる、、、大砲の先近くの木々は弾が打ち放たれた瞬間、ボッと火がつき燃え上がる、、、そんな合間を見計らって、何十人もの戦士が機関銃を撃ちながらパレスに突入した。
ババババババババー、俺たちは流れ弾が当たらない様にじゅうたんの床に身を伏せ、窓を全開にしてかじいるように二人並んでその様を見ていた。不謹慎ながらこんな時だと言うのに二人は小さな子供の様に足をバタバタさせて興奮している様だ、、、
パレスからわずか200m位しか離れていないところで観戦している俺たちは、絶対流れ玉などきやしないとでも思っているのか?、、、まるでスクリーンの上で起こっている映画でも観ているつもりなのか?、、、だがそこには現実がある、、、信じられない現実が、、、
それは生の音、爆風、煙のきな臭い匂い、、、全開にしている窓から、、、200mしか離れていない空気の層から、、、なまなましく伝わってくる。
パレスの丘は大きな木々で覆われていて、ここからはその下でどんな死闘が繰り広げられているのかは見て取れない、、、しかし、時折、手りゅう弾や爆弾の炸裂する火花が上がるとその後、爆風がかすかに頬をなでる、、、目で見た爆発、音、爆風、その時差で戦場の近さをまさに肌で感じる。地響きさえもこのホテルの床を伝わり確かに感じる、、、
これだけパレスをエチオピア人民戦線が包囲し攻撃している中、社会主義国家政権の奴らは何人いるのかは知らないが、持ちこたえられるのか?、、、おそらくあと数時間もすれば全滅するか降伏して残忍な殺され方をしていずれにしても地に落ちるのだろう、、、
アフリカ、ルアンダやアンゴラの内戦では生きたまま目をえぐられ、耳、口をそがれ、手足を切り刻まれ殺されていく様がよく報道されていた、、、
俺はそんな壮絶なシーンを頭で想像しながら報道ではないそこで起こっている現実の前で絶句した。。。何時間が過ぎたのもわからないまま、床にうつ伏せに伏せたまま、パレスの攻撃はつづく、、、
やがて重戦車の爆音や銃声はやみ、不気味な静けさの中、爆発や重戦車の発砲で火のついた木々のメラメラパチパチと燃える音だけがパレスになり響く、、、
そんなきな臭い中、パレスの正面ゲートから一人の男が走って逃げてきた。茶色っぽい軍服を着ているが前ボタンがとれはだけたまま、、、社会国家主義政権の奴らだろう、、、後ろから二人の人民戦線の戦士が追いかけてきた。ヤバイ!打たれる!と思ったがその差はすぐにちじまり追いついた。ちょうどホテルの横あたり、俺たちのいる部屋の真下あたりでそいつは息絶え絶え、うつ伏せに倒れこんだ。俺はその場で射殺されると思い自分が声を出すのをとっさに両手で口をおさえた。あんな大きな機関銃で近距離から頭を打とうものなら顔ごと吹っ飛んでしまう事は、よくボコタで見ていたから、、、
俺は両手で息ができないほど口をおさえ嗚咽した、、、
ウッウッうなりながら、、、涙が止まらない、、、
奴らは知っていた、、、後始末に困るから、、、
冷静に腰から小さな拳銃を取り出すと、躊躇もせずにこめかみを打ち抜いた。
俺はバンっと打たれた瞬間、息が止まった。打たれた奴は一瞬で体全体の力が抜け落ち、地面にせっぷした。打たれたこめかみからは一瞬、ストローから吹き出るトマトジュースの様に血があふれ出て地面に広がる、、、すぐさまジープが来て二人でそいつの手と足を無造作に持つとジープの荷台に積んでパレスの奥へと走って消えた。
地面にのこった血のあとはやがてしみこみ、黒く残ってはいるが、砂利と砂でそれが血のあとだとは見たものだけにしかわからない、、、
長い間、社会国家主義政権のもと、社会主義の国だったエチオピアがたった今、俺の目の前で民主主義国家へと変わった瞬間だった。。。
お金だとか、、、
会社だとか、、、
家族だとか、、、
女だとか、、、すべてこめかみから吹き出たあの血の色で赤く染まって何も見えない、、、
ただただ、俺一人、、、頭の中は5000Hzだか、6000Hzだかのキ~ンと言う音だけが鳴り響いている、、、
合掌、、、

1991.春 その10

俺はプールサイドに壊してつくった出入り口から歩いてそこへ行くと思っていた。
ステイーブと8時にロビーで待ち合わせをして、俺はわかったようにプールサイドの方に歩き始めた。するとステイーブは俺を止めて言った。(Nao,うちの車が正面パーキングに停めてあるからそれで行こう!)そう言うとステイーブは正面にあるパーキングの方に歩き始めた。(おいおい、待ってよ!ヤバイんじゃない?車で出ると見つかるし8時すぎは戒厳令で外へ出てはいけないんだよ!)こんな時にお馬鹿な俺、、、
こんなクーデター真っ最中、フウキ委員長みたいな優等生もあるものか!、、、
だいたい、このアフリカ、エチオピアの地でどこだかわからないバラ色だか、ピンク色だかの男のワンダーランドに行くのだから、、、
俺はそう言ったもののステイーブに黙ってついて行く事にした。
車は昔々のカローラバン。こう言う後進国は例外なく日本の20万キロ位走りこんだ中古車だ。(キュルキュルキュル、、、キュルキュルキュル、、、バグウ~ン、、、)かかりは悪かったがいきなり白い煙を一発出してエンジンはかかった。(おいおい、ずいぶん派手な音!大丈夫?、、、)ニコッと笑ってそんなのお構いなしでステイーブは走り始めた。裏の道からプールサイドを通り壊したフェンスから抜け出た俺たちは一目散にワンダーランドに向かった。
10分位走っただろうか、すごく長く感じた俺は心配になりステイーブに訪ねた。(こんなに走ったらまずいよ!検問でもあったら捕まっちゃうよ!!)所どころに街灯はついているが人っ子一人いない夜のアデイスは、戒厳令がしかれている事もありすこぶる気味が悪い。ステイーブは俺の肩をたたくと(ほら、あれ!、、、)指をさした先には二階建てのコンクリートでできた建物。そして周りにはたくさんの車が、、、一階にはなんとBARだ!、、、
お客はたくさんいる。なんだこれは、、、こんな時にそれもこんなに堂々と営業している、、、
俺は予想はしていたがこんなにもあかあかと電気をつけて営業しているのを見てあきれた。
そんなところへ来ている俺たちにももちろんあきれかえる、、、
ステイ-ブは車を脇に停めて外に出た。そして俺を手招きした。俺も恐る恐る外へと出て店に入るとそこはもう、パラダイス!!カウンターBARにテーブル席が4席、その4席はもうすでに来ている客と女の子たちで埋まっていた。カウンターの少し高めのイスにはフリーの女の子が二人、こちらを見てニコニコしている、、、そんなに店はきれいではないが、薄暗い赤い光とアフリカンミュウジック、そして独特な匂いと悶々としたタバコの煙、、、
ここがクーデター真っ最中のアデイスなのか?、、、
俺は高鳴る胸を押さえるのも必死にステイーブに話かけた。(これって、やっぱり女の子お持ち帰りなの?、、、でも、まさかヒルトンに?、、、)ステイーブは得意げに人差し指を上に指さして(二階に行くわけよ、、、さあ!Naoはどの子?)どの子って、、、フリーの子は二人しかいないじゃない!、、、日本ならジャンケンポイで決めるのがお決まりだけどここでステイーブとジャンケンポイはね~、、、そんな事考えるまもなくステイーブは一人の女の子をつれてさっさと行ってしまった。こう言う時は外人はものすごく早い、相手の事などお構いなしだ。(おいおい、なんだよ!もうちょっと説明してくれよ!お金の事とか、時間とか、システムとか!、、、)おどおどしていると、カウンターから一人の男が出てきてまるで観光客状態の俺に近づいてきた。俺はこんな時一番危険を感じる。こんな場合だし、少し後ろめたい気持ちがあるもんだから、気をつけていないとボッタクレやすい、、、こう言う商売って男の弱みに付け込むのが多いから、、、新宿歌舞伎町あたりによくあるファッションマッサージのボッタクリにも似ている、、、
男は(8000円ポッキリ!)の看板に誘われて中に入ると入場料8000円をまず払い女の子がいる個室に案内される。ソファーに座るといきなり女の子は着ているシャツの上から人差し指で乳首をクリクリクリ、、、(やだ~もうこんなに元気!、、、楽しくしてあげるから一万円だよ~!)え~と思いながらも一万円払うとサッとしまってズボンと下着を脱がしあそこにパウダーをふりかけてシコシコシコ、、、手を早めてじっと見つめる怪しげな目、、、行く寸前あそこをビクっとさせると女の子は根元をギュッと締め上げて(まだ行っちゃだめ~もっとすごい事、してあげるから~一万円だよ~)アホな口調だ。そこで男は考える、、、入場料で8000円、中で一万円、合計18000円。ここで怒り出したってお金戻ってこないだろうし、、、このままではあそこがたまらない!、、、そこからが泥沼!
28000円、38000円、、、シコシコ、ぺロぺロで締め上げられ、巻き上げられる、、、
しまいにボッタクリに気がついてあばれだそうものなら奥から2、3人の不良が出てきて外に出されると言う訳、、、騙されるのも男の性ってやつ、、、
わかっていてもどこか気が緩んでいるとあの手この手で騙される。
男である以上男の性は隠せない、、、
カウンターから出てきた男はニコッと穏やかだが作り笑いのようで気味が悪い。エチオピア人であろう男は俺に言った。(ショート20分なら50、45分で100ドルだ!)って、、、
まさか20分でなんて、、、上にあがって、脱いで、、、あとシャワー浴びて、着替えて、なんてやってたら20分は無理でしょ?と思い、高いの安いのなんて考える間もなく俺は100ドル男に払った。っと瞬間、俺はまずい!と思った。ここで100ドル払ってしまったら、終わった後また女の子に払わされるのがつねだからだ。(だからステイーブ、もう少しいて説明してくれなくっちゃ!)、、、これもサバイブ、、、俺はもう一人しか残っていない少し小柄で目のパッチリしたおでこの広い女の子をつれて二階の部屋へ行った。部屋はコンクリートでできたワンルーム位でベッドとイスが一つ、こんな所に似つかわずきれいなシーツが敷かれていた。窓はあるが窓枠はなく、外と素通しで下からもれるアフリカンミュウジックをBGMに、はいていたジーパンと下着を脱いで簡単にたたむとイスの上に置いた。下半身は裸でシャツを着たまま靴下はいたままのこの時、いつも思うが一番こっけいでかっこ悪い、、、なぜ上から脱がないのか、靴下先に脱がないのかが、自分でもいつも不思議に思う、、、
彼女はそんな俺に抱きついて来ておもむろにシャツをたくし上げ俺の胸に頬をよせた。そして時折、上目ずかいで俺を見つめる、、、俺のおなかあたりに触れるはった乳房が心地いい、、、
俺は両腕で彼女をしっかり抱き寄せた。
こんな危険と隣り合わせに、、、いつ機関銃をかかえた軍服を着たゲリラどもが押し入ってきてもおかしくない中、男はほんの一息でも夢を見れるものなのか?、、、
これも、あれも、男の性と言うやつなのか?、、、
彼女の肌はつるつるできめ細かく、月の光に照らされて黒光りしていた、、、
俺は、、、
昇天!、、、

クラシックな人々

最近、やっとクラシックコンサートが穏やかに楽しめるようになってきた。

俺にとってクラシック音楽をやっている人達は何か特別な匂いがした。何かお澄ましでとっつきにくい、、、だいたいクラシックと言うより文科系ってやつはどうしていいかわからなっかた。。。でも何か特別な、、、特にクラシックやっている女性は、、、だから、なんでも俺よりできると思っていた。俺の知らない事は何でも知っていると思っていた。
イギリスにいた頃、、、俺は友達との関係で南のサザンプトンに住んでいた。サザンプトンは他国からの輸出入のための大きなドックがある町で、特にこの国の車の輸出入は大部分、
この港を通過する。そんな町で車のデイーラーをしているデイブと俺は住んでいた。
デイブは大柄な体に似つかわず、クラシック音楽が意外と好きでそんな友達も何人かいた。
ある日、いつものようにデイブとパブに食事に行った。そこには何人かのデイブの友達が飲んでいた。その中の一人に小柄な日本人の女の子がいた。(ハイ!幸子!久しぶり、、、)デイブは機嫌よく彼女に声をかけたが、彼女は俺を見るなり少し機嫌悪そうによそよそしく(ハイ!、、、)って、、、海外で出くわす日本人は何だかみんなこう、、、ロンドンやパリに留学している日本人は一緒に住んでいるやつらとは日本人同士いつもつるんでいるくせに初めて会う日本人には気をゆるさない、、、(何でこんなところであなたと会うのよ!、、、)って感じで、、、他の国のやつらは自国同士とわかるとハグハグチュッチュするのにね、、、
文化の違いはわかるけどせっかく留学しているのだからもう少しなじめって!、、、
デイブ曰く彼女はバイオリニストでイギリスに留学しているらしい。(へー何年位イギリスにいるの?)と尋ねると(今年で七年目です、、、)口数が少なく俺とあまり話したくないんだなあーと思い、デイブや他のイギリス人と話をしていた。(まあ、パブだ。ステラでも飲んでリラックスしよう!)時間もたちいい具合になってか、さっきの悪かった気分も忘れ幸子にちょっと聞いて見た。(いつもどの位バイオリン弾いてるの?)って、、、幸子は(弾くときは9時間位、まあ、午前と午後で6時間位かな、、、ホントはもう少しやりたいんだけれど今の部屋は夜弾けないから、、、)得意げに、、、俺はすかさず(そんなにバイオリン、バイオリンで音楽ばかりじゃ遊べないね!)俺は穏やかに言ったつもりだったが(遊びって何よ? そんな暇ないわねー)またムッとさせてしまった。そんなつもりじゃないのに、、、
もしかしたら俺がくどこうとでもしていると思っているのだろうか、、、また俺は追い討ちをかけてしまった。(クラシックコンサートに行く人達は大体、地位も名誉も俺たちよりずっとある人たちでしょ?そう言う人達はいろいろ経験つんで人生歩んで来てる訳で、、、人の見る目は鋭いんじゃないかなあー?そう言う人達に言わば感動を与える演奏をするにはこちらもあちらにない経験をつむ事なんじゃないかなあー、、、練習も大事だけどいい恋愛もたくさんした方がいいんじゃない?) 幸子を見ていて、容姿だとか、仕草だとか、匂いだとか、余計なお世話だが、あまり男性経験ないんだろうなーと思い、間違っていたらごめんなさいだけど、、、ついつい口にでてしまった。以前からそれは男として疑問に思っていたのでチャンスがあったらクラシック音楽やっている人達に言ってみたかったから、、、
30歳過ぎだと言うのに勉強勉強で、男性経験もなしに、、、それでいて生意気に人に意見を言う、、、
ロンドンに住んで10年ピアニストとして活動している女性と出くわして、実は口説こうとした事がある。
俺はその時イギリスでレースやっていたし、年に2,3回はマラソン出ていたし、毎日ジムがよい、、、体はもうギンギンだった。そんな体育会系の俺はしっとりおっとりした文科系音楽家にあこがれていた、、、コンプレックスでもあった。ある日、俺は日本でつくった18Kのダイヤの指輪を彼女にプレゼントしようと思った。ダイヤは0.4カラット位のそんなに大きくない物、、、
いつもの様にロンドンのレストランで食事をしてワインも入り気分が盛り上がったところで俺は小さな赤いリングケースを開けて彼女の前に差し出した。(これ、俺がデザインしたリング!、、、)彼女は一瞬、顔がこわばった。指輪の入った小さなケースを見つめながら、けしてその指輪には手を触れようとはせずに両手でケースを持ったまま、、、彼女はしばらくそれを見つめていた。(どうしたの?このデザイン気に入らない?)俺は指輪を取って直接、彼女に手渡そうとしたその瞬間、パシッとケースを閉めて彼女は俺につき返してきた。
(私、、、そんなんじゃないから、、、)(えっ、彼氏でもいるの?)俺はおもむろに尋ねた。
今まで何回か彼女とは食事しているし、そんな時、男の影はまったく感じなかったから、、、
彼女はつずけて(いないですよー、、、でもお付き合いするとかそう言うの考えたくないですから、、、)ガックっときたけれど俺は(こんなの気にしないで、、、ただ気持ちだから、、、もっと話をして徐々に大人の関係になればいいんじゃないかなあー?、、、)その言葉に彼女はプチっと反応してしまった。(何?その大人の関係って!!そんな人だと思わなかった!)
プリっと彼女は席を立ち指輪を置いたままいきなり帰ってしまった。俺は追いかけはしなかった。むしろ、その後からジワジワと怒りがこみ上げてきだした。。。
(そんな人だと思わなかったって、お前の言うそんな人ってどんな人よ?!)俺は指輪のケースをすぐにポケットに入れて清々しい顔をしてワインを飲んだ。
(あー、ロンドンでよかった、、、これが日本だったらものすごく恥ずかしいだろうなあ、、、)と、、、そんな事もあってか、クラシック音楽やっている女性には疑問と不信感があった。
それは女性にだけではけしてない、、、
オンド・マルトノと出会ってからと言うもの、しげしげとクラシックコンサートに足をはこんだ。サントリーホール、オペラハウス、東京文化会館、、、曲もいろいろ聴いた。演奏家も、オーケストラも大小問わず、、、マイナーな小さな教会でやる演奏もたまに聴いた。
そうこうしている内に、また俺の悪い癖が出てきてしまった。人間、そんなに変われないものだ、、、
ステレオアンプや無線機など、裏ぶた開けて抵抗やコンデンサーの配列や半田づけを見ていろいろな事を感じ、感動する、、、俺には人間関係もまた同じ事をやっているような気がする、、、人には生い立ち、育ちがあり、そして経験がある。その積み重ねは様ようにして今のその人に表れているものだ。。。そんな見方しかできない俺がクラシックコンサートに行きオーケストラの演奏家たちを見ているのだから大変だ。
一番目につくのはシューズ、、、クラシックコンサートは聴く側も少なくてもジャケット位ははおり、服装には気をつけているのにオケの演奏家たちはみんながみんなではないがシューズ位、磨いといてほしい。本皮の底の手縫いのステッチが入ったイタリアシューズとまでは言わないが、かかとをへらしたくつなどはいていては、いい音などでるはずがない。
ステレオアンプが神経とがらせて配列、半田づけに気を配ってこそいい音が出るように、
人間だって身なりに気を使わないようでは、いい演奏ができる訳ないと思う。クラシック音楽をやっている人達に言わせれば、身なりより練習、鍛錬と言う事になるのだろうが、けしてそれだけではないと思っている。。。そんな人の家は見なくてもだいたい想像つく、、、
乱雑にシャツやセーターがベットの上にちらかっているだろうし、クローゼット開ければ押し込んだままのジャケットやパンツが、、、引き出し開ければ下着がちゃんとたたまれていなく丸めてある、、、バスルームの洗面台の上にはもうだいぶ使い込んだ歯ブラシが何本も無造作にコップにつっこんであったりする、、、鏡だって飛び散ったとれない歯磨き粉の白い斑点が磨かれないままこびりついている、、、そしてピアノの上には積み上げられたスコアボードと本の山、、、
極めつけは靴下。 黒いスーツに蝶ネクタイ、みんな同じに見えるからって個性を出してと言わんばかりにみんな色がそろってない、、、黒いスーツだと言うのに紺色やグレー、そんなところまで客は見ていないとでも思っているのだろうか?、、、ガビーン!白いソックスはさすがにいないがこげ茶のソックスが、、、それが学生の素人楽団ならともかく、サントリーホールでOOフィルやO響の名のあるオケでの事だ。以前、演奏が終わって楽屋に訪ねた事があった。(お疲れ様でした。よかったですよ!)定番のあいさつを友人の演奏家とかわし楽屋を出ようとした時(お疲れ様でした!)何人か楽器をしまい終えて帰るメンバーを見て驚いた。なんと演奏で着ていた黒いスーツのままでネクタイだけとってコートをはおり帰っていった。もちろんシューズも履き替えずにそのまま、、、

今はあまりそんな事、考えずにコンサートに行き音楽を聴いている、、、自分が楽しめないから、、、カジュアルな服装の時もあるがシューズだけはイタリア物の俺のお気に入りをはいて、、、
オケの人達の黒いスーツが少しぐらいテカッていようが、、、
黒いシューズのつま先にこすった跡があろうが、、、
黒い襟元がふけで白くなっていようが、、、
女性のバイオリニストの二の腕が弓を引くたびプルンプルンいっていようが、、、
黒のストッキングのふくらはぎあたりに洗濯したためか玉ころがいっぱい着いていようが、、、
俺はお構いなしに清々しくモーツアルトを聴いている、、、

オンド・マルトノへの道

今思う、、、
オンド・マルトノとの出会いが本格的にクラシック音楽との出会いだった。
幼稚園のころだったかよく親父がステレオでクラシック音楽を聴いていた事は覚えているが俺は音楽よりステレオの方が興味があっり、親父がいないうちに中を開いてみては何か研究していた覚えがある。ある日、ふたを開けてみたが組み立てられなくなって、俺はヤバイと思い後ろのふただけ閉めて黙っていたが次の日曜日、親父がレコードを聴こうとした時スイッチが入るが音が出ない事にすぐさま(直之がまた中いじっただろ!!)って、、、
正座させられていつも怒られていた。その後親父が(これいいだろう、、、)と言いながら買ってきたアンプやスピーカー、チューナーなどすべて壊してやった。それにもめげず親父は新しいもの、新しいもの買ってきた。俺の研究材料!、、、
それでクラシック音楽嫌いの引き換えに、めっきりオーデイオに強くなった気がする。。。

俺はステレオアンプをつくるのも好きだが、配線や半田づけの様子、抵抗やコンデンサーの取り回しを見るのが好きだ。ステレオアンプと言っても今のトランジスターやデジタル物ではなくもちろん真空管アンプだ。昔の真空管アンプには今の主流になっている基盤なんて物はなく、直接、抵抗やコンデンサーを真空管の足にうまく取り回して半田づけしてある。その取り回しは作者によってまったく違い、それを見ているとその人となりが俺にはわかる気がする。抵抗やコンデンサーの足をニッパーできちっと直角に折り曲げてすべてのパーツを平行、垂直に神経質に並べて配列している物や、まったく無造作につけている物やら、、、半田づけもてんこ盛りにしている物や必要最小限につけている物。すべて人がそこには出てきてしまう。人間そんなに何をするでも変われないものだから、、、
現実的にも乱雑なパーツの配列や半田のてんこ盛りはノイズを拾ってしまい音は良くない。
そこにはいろいろな経験や性格、思惑が出て、音として帰ってくる。
今までいろいろなつくりを見てきたが日本人のつくった物はすばらしい、、、ヨーロッパやアメリカでそこまで神経質にとがらせてつくっている物は見た事がない。。。

モリス・マルトノが初めてつくった真空管のオンド・マルトノを俺はつくりたかった。
今までやってたステレオアンプや無線機のすべてがそこにはあったから、、、それにあの音色、、、俺がつくったオンド・マルトノであの音色が出せるなら。との思いでつくり、パリに住んでいるモリスの息子、ジャンルイに見せに行った。俺は自慢げに裏のふたを開けてパーツの取り回しやら半田づけを見せた。ジャンルイはそんな俺にモリスがつくったオンド・マルトノの裏ぶたを開けて中を見せてくれた。そこにはヨーロッパやアメリカでは見た事のないパーツの取り回しや半田づけがあった。そして各所にアースの取り回しの苦労があった。俺にはわかっていた、、、アースの取り回しで音色が微妙に変わるのはもちろん、
音程が安定するように各所にアースを取りロックしている事を、、、
モリスは突然のバイクの事故により、今はいない、、、もちろん俺は会った事さえもない、、、
しかし、、、絶対に俺はモリスと話している。
それは電気や電子、、、見えないものとのアナログ的戦いと、神経質までに並んだ抵抗やコンデンサー、きちっと巻かれたコイル、モリスには到底かなわないが俺はずっとずっとやってきたから、、、そこから日常生活や現実がかいま見れる、言いたい事も伝わってくる、、、
時には涙だって出てくる。これが会話ではないなら何?、、、
俺はオンド・マルトノをつくりだして、モリスのやってきた道筋をたどらなくてはいけないと思う。真空管で苦労して苦労して、、、結果、トランジスターに行く過程を、、、そこには折り合いをつけ妥協がある、、、しかし人間、妥協は苦労した上での結果であり、ただの頭の知識だけでは進まないもの、、、ただのまねではオンド・マルトノはありえない楽器。。。
ジャンルイは言った、、、
(Nao、、、父はね、、、この真空管の楽器100台少しをつくったがため毎日毎日、調律に明け暮れほんろうし、大変苦労した。そして僕たち家族もまた苦労した、、、それをずっと見てきてねー、、、)ずしっと重い言葉に俺は返した。
(たどらなくれはいけない道があるから、、、)
ジャンルイは平手を上にむけておどけた顔をして、首をかしげてた、、、

1991.春 その9

もうどの位眠っていただろう、、、あれから思いふけったまま、ベッドに横たわりそのまま
寝入ってしまった。アデイスは標高2600m、少し空気が薄いためすぐ眠くなりやすい、、、
初めて訪れた人なら軽い高山病にかかり頭が痛くなる事もあるだろう、、、
俺はいつもボコタにいた。ボコタはそれより高い標高2800m、しかも赤道直下の町、一年中気候も季節もかわらない。初めてボコタに着いた時は俺も一週間高山病にうなされ、
頭が張り裂けそうだった事を思い出す。。。

時計を見ると3時近くになっていた。(アッそうだ!今日渡辺さんの部屋で3時すぎニュースステーションの生録だったっけ、、、)いそいそと身なりを直し、寝癖のついた髪に洗面台で水をつけ、そそくさと渡辺さんの部屋のドアをノックした。すると渡辺さんは機嫌悪そうに出てきた。(今収録の準備してるから早く入って!、、、)俺はすみませんと言わんばかりに低姿勢で部屋へと入った。ベッドの端に腰掛けた俺は一言も口を聞く事はしなかった。
(仕事の邪魔だから悪いけど出て行ってくれないか?、、、)と言われるのがいやだったから、、、それに攻撃が始まればこんなベストポジションな観客席は他にはないからだ。
3時を少し回ったあたりでだったか、、、部屋の電話がなった。わかっていたのか渡辺さんは一回の呼び出し音で受話器を取り話し始めた。まだ本番ではないらしい、、、テレビ局のスタッフのようだ。(はい、、、はい、、、はい、、、)簡単に打ち合わせを済ませ、受話器はそのままにしていた。
受話器をもったまま5分位だろうか、渡辺さんはテープレコーダーの録音スイッチに指をかけONにした。いよいよ生録だ!(アデイスアベバにいる渡辺さん、渡辺さん!)シーンと静まり返っているホテルの部屋に受話器から漏れた声が聞こえてきた。(おっ、久米宏だ!)渡辺さんは開いた黒い手帳にある原稿を見ながら淡々と今のアデイスの状況を話し始め、3、4分位だったか、受話器を置き、初めての生録はあっけなく終わった。
それまでの緊迫感がとけて俺は早速、きりだした。(お疲れ様です!攻撃始まったらまた、ニュースステーションの生録やるんですよねー?)(はい、、、たぶんまた明日、、、)
(いよいよ、明日から始まりますね、ドンパチと、、、それではまた明日3時から、、、お疲れ様です!)スタッフでもないのにいい気になってる俺、、、
アデイスと日本の時差は7時間。午後3時は日本では午後10時、、、
ニュースステーションの始まる時間だった。
部屋を出た俺は夕食にはまだ早いのでホテルを探索する事にした。一階のロビーにまず行き、開いてないショップの前を歩きプールサイドに行き着いた。プールの水はきれいだ。
プールサイドには俺たちが走り回ったタイヤの跡が、、、そしてその向こうにはジープでなぎ倒した植木と壊れたフェンス、、、(そうそう、俺たちは必死でここをジープで逃げて来たんだっけ、、、)つい最近の事があれから随分たっている気がしていた。だれもいないプールサイドを散歩しているとホテル側から一人の若い白人にしては小柄な奴が近寄ってきた。
(ハイ!日本人ですか?)俺はYesと答えるとニコニコして(僕はステイ-ブです。BBC放送だけど、あなたは?)来た来た来た!!!正直、俺はこんな質問に嫌気がさしていた。
どうせまた馬鹿にされるんだろうなーと、、、まあ、でもこんな退屈な時は友達がいた方がもっと面白い事があるんじゃないかと思い、おちゃらけて経緯を話してやった。ステイーブはそんな俺を面白がってくれてか、肩にかけていたショルダーバッグの中から何枚かの写真を取り出して自慢げに話し始めた。(まあまあまあ、ステイーブ、あっちのベンチに座って話そう!!)のっけからフレンドリーな、、、俺たちは打ち解けるのにそんなには時間はかからなかった。ステイーブはBBC放送のカメラマンで一週間前にアデイス入りしたらしい。奴の話す英語はまったくのイギリス英語で俺には少し分りずらい、、、でも話の内容が内容だけ、写真を見ながらの会話だったのでよくわかった。ステイーブは世界各国を取材していくかたわら、趣味でその各地の娼婦を写真に収めているのだ。すげー!!
その中にボンベイのもあった。(ここはさー、、、俺、そこ行った事あるある!、、、はじめにさー、、、太鼓、ドンドンドンってたたくとサリーを着た女の子がぞろぞろ出てくるとこだろ?、、、そうそうそう!)俺たちは写真を見ながら爆笑!、、、話に花が咲く、、、
お馬鹿な二人、、、
すかさず俺は切り出した。(もちろん、このアデイスにもあるんだよねー?)(おまえ、あたりまえじゃん!!!この近くだから今晩行ってみよう!)(うっそー!ほんと?!)もう俺は顔がグシャグシャになっていたが念のため(でもさー、やばいんじゃない?夜は戒厳令がひかれているし、、、見つかったら殺されるんじゃない? それにこんなクーデターの最中、休みじゃないの?、、、)どんな答えが返って来ようとも俺たちは行くんだろうと思ってはいたがぶつけてみた。ステイ-ブはニコッと笑って(大丈夫!やっていっるから、、、男はこう言う時こそやりたいものだから、、、)そんな訳の分らない回答に俺は納得していた。
(ステイーブ、、、夜出て行く時、正面ゲートからだとパレスの前でヤバイから後ろから出て行こう!俺がつくったいい抜け道があるんだ!!)そう言うと俺はあのジープで壊したフェンスを指差した。(グレート!!!)ステイーブは俺を感心したいでたちで(なんてお前は頭がいいんだ!!!)またも訳の分らない回答に興奮して俺たちは握手をしてハグハグ!、、、お馬鹿な二人、、、ニヤニヤ、日が暮れるのを待っていた。。。

1991.春 その8

外はカラッと晴れわたり、一見静まり返った町の中、、、
ここはエチオピア、アデイス、、、アフリカだ。
前の小高いパレスの森、、、メインストリートの街路樹、、、も日本やインド、ヨーロッパのそれとは違うダイナミックないでたちで向かい入れてくれる。そんな自然の木々をアフリカの鳥たちがいつものように飛び交う、、、
今まで俺はアジア、ヨーロッパ、南米、アフリカと渡り歩いてきたが、こんなに落ち着いて町並みを見て、感じた事があっただろうか、、、
いつもダイヤの値段や色石の相場にばかり頭が行き、あそこが安いと言えばそこに飛び、加工工賃が安いとなればそこへ飛ぶ、、、仕事の事ばかり、、、金の事ばかり、、、
町並みや自然やその国の文化などは俺にはどうでもよかった。考えもしなかった、、、
文化に触れると言えばその国の女の子と遊ぶ位で、、、そんな下世話な生活、、、
アジアを旅しているとよく日本人バイヤーが金に任せて女を抱え込みチャラチャラ遊んでいる姿を横目で見ていて俺は、(あんな下卑た男にはなりたくない!)なんていきまいていたんじゃないのか?、、、そんな下卑た男と俺はなんら変わりはないのではないか?、、、
そんな思いがつもりつのってくる、、、
これでいいのか?、、、考えてみれば初めてこんなに真剣に自問自答、、、
すべてを清算してまじめに美香の元へ帰って子供をつくり、楽しい家庭ってやつをつくり、盆暮れ正月にはちゃんと家にいてニコニコ笑っているよきパパになればいいのか?、、、
普通の家庭生活をすればいいのか?、、、
普通の家庭って?、、、
ボコタにはアニンがいる。彼女は俺のコロンビアでの仕事の要でもあった。
インドにはビジネスパートナーがいる。香港にはルイーサがいる。彼女もまた俺の金融の要。。。そんなしがらみをすべて捨ててしまえと言うのか?、、、
日本には会社がありたくさんの社員がいる、、、
人間はなんて愚かで醜いのだろう?、、、
そんな愚かで醜い道を自らつくりそこを走っている、、、こんなしがらみだらけの中、
うずもれ、もがき、あえいでいる、、、そのしがらみをつくったのも俺、、、変えようと思って、、、
急に、黒い幕ひき!突然そんな頭の中に幕がバンッ!としまり、今の自分、現実へ戻った。

俺はどこへ行っても写真を撮った事がない。記念撮影なんてやつも撮った事もない。
一つ一つの思い出やその時の自分を切り取りたくはなかったから、、、
そののこった、切り取った、その時の自分を見るのがいやだったから、、、
わかっていたのかもしれない、、、その時の自分、、、涙、、、

1991.春 その7

1Fロビーのレストランカフェ、、、夕食もビュッフェ形式、まあ、いろいろ種類もたくさんあるし、ビールにワインもある。
こんな時だ贅沢は言ってられない。。。でもこのチャージどこにつくのだろう?もちろん部屋につくんだろうなー、だけどウエーターもいなければホテルスタッフもいやしない、、、
どうやって食べたか、食べないかチェックするのだろう?ドリンクだって、、、こんな時だどんどん食べてガンガン飲むにかぎる! 俺と渡辺さんはこの日はもくもくと食べて口数は少なく、他の事を考えているようだった。散々な事がこの一日よくあったものだ。考えてみるとここにこうしてくつろいでいる事が不思議な位、いろいろな事が、、、
つかれている二人は早々、お互いの部屋へ帰る事にした。
翌朝、俺が目を覚ますまもなく渡辺さんがノックをして尋ねてきた。
1F会議室でエチオピア人民主義戦線、代表の記者会見があると言う、、、記者でもない俺を親切にも誘ってくれた渡部さんにいそいそとくっついて行く事にした。こんな経験も滅多にあるもんじゃない、、、好奇心いっぱいの俺は何か満足げ、記者でもないのにノートとペンを持っていた。
会議室は世界各国のジャーナリストや記者、テレビ関係者でいっぱいだった。その中段あたりに開いている席を見つけた渡辺さんは堂々と席に着きとなりの開いている席を指差して俺に手招きした。記者でもない俺は少し遠慮していたがそんなそぶりも見せず堂々と席に着いた。もう記者になりきるしかない!そう腹をくくっていた。
演台に立ったエチオピア人民主義戦線の代表は、カーキ色の軍服を着て少し小柄だったが口ひげはきれいに手入れをしていて小奇麗だ。15分ほどの声明だったが難しい単語の連発で内容がよくわからずじまい、、、白いノートにペンを持っていた俺は何も書けず冷や汗がたらりとものすごい恥ずかしさに、、、隣の渡辺さんに横目をやりきずかれないうちにノートを閉じて腕組みをしていた。いろいろなところで英語を使ってきたがこんなわからなかった事はなかった。やはりきちんと学校で英語を学んでこなかった証拠だろう、、、これまでビジネスでもプライベートでも相手がいて目的があって、こちらの言いたい事を相手がくんでくれ相手もやさしいわかりやすい言い回しで言ってくれているのだろう、、、
常に多くは一対一の会話でお互い分かり合っていたつもり、まったく自分の語学力のなさに痛感させられた一時だった。
渡辺さんは黒い手帳に声明の内容をスラスラ書いている、、、その内容によれば、(社会主義軍事政権の奴らはすべてパレスに篭城し、こう着状態がつづいている。再三の降伏を呼びかけているがもう話し合いの余地はない。すでに社会主義軍事政権は地に落ちている。これから我々エチオピア人民主義戦線のもと、民主政権を確立していく。我々は明日か明後日、パレスに総攻撃を開始しいち早い社会主義軍事政権の降伏を突き進める考えだ。)と言う事。いよいよかと言う緊張感が会見場全体に伝わった。
俺は、言葉では淡々と言っているが実際は攻撃が始まれば社会主義軍事政権の奴らすべて無残に殺されてしまうんだろうと思い、ゾクッとしていた。
さあ、いよいよだ!、、、そう思いながら部屋へと戻った。

1991.春 その6

ふと、これからの食事の事が気になった。夜は食事外へ出て行けないわけだし、昼だって
こんな時にタクシーなんてある訳ないしフラフラ出歩けない、、、明日、カリガに会うから
聞いてみよう! とりあえず今晩は渡辺さんとホテルで夕食を楽しもう。いろいろな話
聞けるし、、、ワクワクドキドキ、、、
その前にシャワーを浴びる事にした。そして、バスルームのドアを開けた瞬間、さっきの
カリガがシャワーした時の怒りがこみ上げてきた。
ヒエー!! 俺はカリガが使ったバスタオルで床、バスタブのふち、ビショビショになった便器を拭き、ちらかした石鹸の箱をゴミ箱に捨て、開いているシャンプーのキャップを
閉め直した。カリガの使ったバスタオルですべてを拭いたため何かバスルーム全体がカリガのワキガで充満しているようで、、、ゾクッとしたのですぐ熱いシャワーで体を洗った、
いつもより念入りに、、、そんな自分が、なりゆきで好きでもない男と寝てしまった女のようで、情けない、、、急いで新しいシャツにパンツを履き替えて向かいの渡辺さんの部屋のドアをノックした。 Yes?、、、(渡辺さん!尾茂です!)ちょっと間をおいて渡辺さんは出てきた。なにやら、中でいろいろ準備をしているようだった。(お忙しいところすみません!
渡辺さん、夕食どうなさいますか?もし、よかったら下でご一緒にと思って、、、)
(いいですねー、でも ちょっと待ってください。この準備が終わってからに、、、まあ、中にどうぞ!)そう言われ俺は中へ入った。部屋のつくりはあたりまえだが俺のところと同じだった。デスクの上には黒いノートと小型の録音テープレコーダー、そこからつながれた吸盤つきのマイクが電話機につながれていた。そして無造作に開いたスーツケース、中は連雑にきちっとたたみもしない洋服がつめこんであった。もう少しきちっと入れてあればすっきりとするのに、、、俺は自慢じゃないがスーツケースのパッキングは世界一だと思っている。そんな事は口には出さなかったが、今まで疑問に思っていた事を真っ先に切り出した。(そういえば渡辺さん、今日ナイロビから到着されたと言ってましたがどうやって入国してきたんですか?空港は閉鎖されているし、、、)(ナイロビでセスナチャーターして低空飛行で空港に着陸して地元の車拾ってここまで来た、、、)渡辺さんは淡々とした口調だったが自慢げに俺に話した。(さすが、特派員ですねー!やる事がアクテイブ!、、、)
俺はナイロビからアデイスまでの距離、セスナで飛べるのかなあーとか、エチオピアに入国する際軍関係者はいなかったのかとか、出国チェックしてないのだから帰りケニアで入国審査どうするのか、など余計な事考えてしまったがそれ以上つっこむ事はしなかった。
渡辺さんは続けて(明日午後3時すぎからニュースステーションの生取材はいるからちょっと準備したい。)と、(尾茂さんその時一緒にいていいですよ!!)
(あーだから電話にレコーダーが仕込んであったんだ、、、それでこの部屋から電話でナマ久米宏がトークする訳!、、、それでは、アデイスアベバの渡辺特派員と電話でつながっています!渡辺さん!、、、渡辺さん!、、、)なんてやり取りしちゃう訳?!
俺は舞い上がっていた、、、ワクワクドキドキドキ、、、
久米宏のニュースステーションは日本にいる時見る唯一の番組、なによりキャスターの小宮悦子が大好きだったから、、、
俺はミーハーではなかったがまじな顔して話しているえっちゃんが時折見せる笑顔にプライベートの時を想像、そのギャップにまいっていた。よし、いつかニュースステーションにゲスト出演して、その生番組で突然10キャラットのVSクラスのダイヤプレゼントなんかして公前プロポーズでもしてやろう!!絶対びっくりするって!、、、その次のスポーツニュースでは(小宮悦子、電撃結婚!!!10キャラット、3億円に目がクラクラ!、、、)
なんて見出し出ちゃったりしちゃって!、、、今の俺には10キャラットVSクラスのダイヤ、
できるできる!、、、そんな根拠のない妄想にかられていた、、、お馬鹿なやつ!、、、
その時俺には日本に美香と言う妻がいた、、、とんでもないやつ!、、、
その二年後、CNNニュースキャスターが本当に生番組内で女性アナウンサーに公前プロポーズをしていた。
考えている奴はいるもんだ!、、、

1991.春その5

日本大使館秘書の運転手、彼の名前はカリガ。
命からがら逃げてきた俺たちはたくさんの話もした。悲しい思いも
したし一緒にハグもした。
ここへきてやっと、I`m Kariga, Haw are you! I`m Nao!である。
そんなホットしたひと時を過ごすまもなく、カリガにはあまり長居をされては困ると悪いが思ってしまった。。。
シャワーを浴びたすぐ後だと言うのにもの凄いにおい、、、俺はこれまでタイやインド、アフリカ諸国といろいろな人と出会いハグもしてきた。そんな体臭など気にもした事がない、、、俺も人の事などいえず、以前美香から(尾茂くん、ワッキーだよね!)なんて言われた事があった。むしろ動物的な本能で親密感がわき女性の場合などは逆に興奮してよくおいたをしてしまったりしていた。人間も動物、、、しかし、、、カリガは今までの中で最高に強烈なワキガだった。ビールで少し気持ちよくなってついでにベッドで休ませてくれなんて言われたら、、、
こんな久々に綺麗なシーツで眠れると思ったのにとんでもない話。
もう当分、ベッドメーキングなどしてくれないであろう、このホテルでまた眠れない夜を過ごすのはごめんだった。
Are you fine? May be,you have same work,,,
日本人ならその場の空気を読んでにこやかに退散するだろう、、、
だがやつは、、、ゲー!!そんな事を言う前にすでにベッドの端に
腰掛けていた。俺はとっさに(1Fロビーにコーヒーでも飲みに行こー)
とカリガを誘った。(こんな時、コーヒーショップなどやっていないだろう)と彼は言ったがとにかく二人で部屋を出たかった俺は強引に1Fロビーへと向かった。
フロントカウンターの横から入った所にコーヒーショップはあった。
中はすでにいろいろなジャーナリストやテレビ関係者でごったがいし
ミーテイングルーム化していた。いつもとは違ってウエイターなどはいなかったが、ビュッフェ形式になっており、勝手にみんなコーヒーを飲んでいる、、、俺たちも隅の席に腰を下ろし、コーヒーを二つ彼にも持ってきてあげた。Thank you!カリガはすこぶる機嫌がよく回りをキョロキョロ見渡していた。その中の一人と目が合った瞬間、
さっと立ち上がって、(アムセッキナド!How are you!)親しく挨拶をかわしエチオピア語?で話し始めた。どうやら知り合いの地元のジャーナリストらしい、、、一緒の席についた二人はさっきあった事を興奮して話している。そして俺がなぜここにいるのかも話している事はすぐわかった。しかしエチオピア語なのでそれがよく言っているのか悪く言っているのかはわからない、、、俺はニコニコしてあいづちを打っているしかなかった。まったくお馬鹿な俺、、、
(こいつさー、こんな時にさー、トランジットでアデイスに来ちゃってさー、、、)こんな事でも話していたら、、、
彼は今度はゆうちょうな英語で(明日、カリガと家に昼飯食べにこないか?)って、、、(エチオピア料理をご馳走してやるよ!)と
言ってくれた。いやいや、やっぱりこいつらいいやつだ!!
明日、12時ロビーで待ち合わせすることにして彼ら二人と別れ俺は部屋へ戻った。
もう夕暮れ、、、部屋の大きな窓からは夕日が沈むのが真っ赤に見える。外は怖いくらい静まり返っていた。
プレスからはエチオピア人民主義戦線からの声明文が各部屋に配られた。
夜八時以降は外に出ないこと。もし、外出した場合命は保障できない。、、、と、、、
戒厳令がしかれ、いよいよ緊迫感がつのってきたのだった。

1991.春 その4

2,300m後ろ向きに走っただろうか、、、大きな十字路にバックのまま曲がりパレスから直接見えないところでようやくジープは止まった。二人は息を切らせてぜーぜー肩でものを言っていた。涙ぐんだ目で俺たち二人は肩を抱き合った。冷静になると俺たちは恐る恐る外へ出て話し合わせた訳でもないのにジープの前を確認しに行った。右のバンパーに一発、左のライトの上あたりに一発、ボンネットには玉がこすったのだろう後が一本、合計三発当たっていた。俺たちはなぜだかわからないが笑って握手をした。
ジープが致命傷を受けずにいたからなのか?、、、
玉が当たったのに生還できた事へのお祝いか?、、、
緊張から解けての安堵感からなのか?、、、
なぜかわからないが俺たちは誇らしげだった。
運転手は俺の握っていたフラッグを取り上げてジープの前のポールに結びつけた。
(お前ねー、はじめからつけとけよ!こんな時!)それでどうなるの、これから、、、
とにかくホテルに行かなくちゃ!!すると、運転手は言った。
(脇の歩道のところをゆっくり行けば大丈夫だ!)
(えっ!またさっきの同じ道を戻ろうと言うの?俺はやだよ!絶対!!馬鹿かお前は、、、
今度はバズーカ砲かもっとでかいやつでやられたらどうするの?!標的にされるのはごめんだ!!!)すると今度はゆっくりとわかりやすい英語で説明し始めた。
(フラッグがつけてあるから大丈夫、ほんのちょっと走ったらすぐ右に入ってプールサイドのフェンスを突き破ってプールサイドから入るから、、、)すげーえ!とにかくトライしよう!俺はフェンスがどんなものなのか?もし、そのフェンスが丈夫なものでぶち破れなくてジープが立ち往生する心配はしていたがその事も面白いと思っていた。俺たちはすぐジープに乗り込み恐る恐る走り出した。さっき逃げてきたパレスの正面、メインロードを曲がろうとした時、運転手は几帳面にもウインカーを出した。いつもの癖だろう。カチカチカチ!周りの静かな緊迫した空気の中にそのウインカーの音は俺にはものすごく罪深く、大きく鳴り響いているように感じられた。
(馬鹿やろう!こんな時にウインカーかよ!ポリスでも飛んでくると言うのか!!!)
思いっきり俺はどなった。そっちの方がよっぽど大きかったに違いない、、、
あわててウインカーのスイッチを戻して、メインロードを旋回して右の芝生に乗り上げた。
フェンスとフェンスの奥には確かにプールが見えた。これか!これならこのジープで突き破れる。運転手はアクセルをいきなり吹かしてフェンスを破りプールサイドを走り抜けた。
普通なら大きな賠償金を払わされるところだが今は大丈夫。俺たちはホテルの裏を回って正面玄関にジープを止めた。もうここからは直接パレスは見えない。
ホテルの正面、回転扉を回してロビーに入るとそこには家族連れの観光客やビジネスマンはいるわけもなく、高く積まれた放送機材の山やたくさんの束ねられたケーブルが所狭しと置いてあった。もう、普通の状態でない事はすぐにわかった。そりゃそうだ!外は緊迫した状態が続き俺たちだってさっき危うく難を逃れて来たのだから、、、
彼は俺に(パスポート)と言うと渡したパスポートを持ってフロントで簡単にチェックインを済ませルームキーを持ってきてくれた。俺はそのまま一つのスーツケースを持って彼とエレベーターで部屋へ向かった。エレベーターの中で俺は彼に(もう少しいっしょにいた方がいいよ。今帰るには危険すぎる!)と言うと彼は当たり前だと言わんばかりにうなずいた。機嫌がいいみたいだ、、、
12階だっただろうか、エレベーターのドアが開き彼が先頭に俺たちは降りてじゅうたんの廊下に出た。静まりかえっているはずのホテルの廊下、、、そこは別世界だった、、、
たくさんの行きかうジャーナリストたち、報道カメラマン、テレビ関係者、、、何本ものケーブルがあっけぱなしの客室ドアを行きかう、、、廊下の地べたに座り込みなにやらワープロを打ってるやつもいる。そこはもう、ホテルではない!報道ステーション、、、
そんな廊下を足元を気をつけながら一番奥の俺の部屋へと進んだ。
ドアを開けると俺の部屋はやはりヒルトンホテル、、、大きな窓にきれいなベッドやデスク。
景色はすこぶるいい。それにパレスとは反対側にある部屋だった。
よかった、と思った瞬間、パレス側ならとくとこれからあの重戦車たちがどうするのか様子がよくわかるのに、と少しがっかりした。
冷蔵庫を開けるとそこにはミネラルウォーター、ジュースにビール、ミニチュアリキュールがぎっしり入っていた。とりあえずビールを飲みたかったので彼にも(ビール飲む?)と聞くとYes!しゃきっと答えた。二人で今までの労をねぎらうつもりで乾杯して一気に飲み干した。二人で飲んだあの味は一生忘れない、、、
飲み干してすぐさま彼が、シャワーを浴びせてくれないか?と言ってきた。俺は少し機嫌を悪くして答えをちゅうちょした。こっちのやつらの行儀悪いシャワーの使い方はよく知っていたから、、、シャワーカーテンを閉めずにシャワーしてトイレも水びたしにするし、使った石鹸も元の位置に戻さなければ石鹸の入っていた箱も水びたしにして平気でその辺に捨ててしまう、、、それが女になら一つ一つ説明して教えてあげられるが男にはいささか抵抗があった。まあ、いいや、今日は、、、後でバスタオル大目にもらって掃除しよう!
俺はいやいやOKした。
彼は10分ほどでシャワーを浴びバスルームから出てくると(Thank you!Very comfortable!!)よかった、よかった、喜んでくれてよかったと思いながらバスルームをのぞいてみると、そんな気持ちなど俺は一発でぶっ飛んだ!
それは思った以上の光景だったから、、、
そんな事でやつともめる間もなくドアのノックがなった。誰だろう?(お前のボスじゃないの?)俺は日本大使館の五十嵐さんだと思った。さっきの銃声に心配して来てくれたのかと、、、ドアを開けるとめがねをかけた確かに日本人だったが五十嵐さんではなかった。
(こんにちは!尾茂さんですか?僕はたった今ナイロビから着きまして、日本人取材班は僕一人と思っていたのですが、フロントでもう一人の日本人が先にチェックインしていると名前を教えてくれました。朝日新聞ナイロビ支局の渡辺です。尾茂さんはどちらの方?)
また、俺はここでも恥をかかなくてはいけないのかと思うと説明するの面倒に思えたが嘘もつけず簡単に、本当はザイールにダイヤを買い付けに行く途中、空港でロックされクーデターに巻き込まれた事を告げると渡辺さんは少し懸念した表情をしたがすぐ普通の顔で
(僕は尾茂さんの向かいの部屋にいますから何かあったら言って下さい。)と言って名刺をくれた。
俺はまたまた挫折感と自分の馬鹿さかげんに忘れかけていたあの30万ドルを思い出し、
バスルームの件でもあいつには文句も言えず、、、しくしく、心で泣いていた、、、
あっ、ラッキー!パレスでドンパチ始まったら渡辺さんの部屋に見に行こう!
渡辺さんの部屋はパレス側で一番の特等席だった、、、
しかし渡辺さん、ナイロビから今到着したって言っていたけどどうやって来たのだろう?
空港今でも閉鎖されて飛行機なんて飛んでないはずなのに、、、