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1995,5月 その1

それは突然だった、、、
思いもかけない、突然だった、、、
予期せぬ、構えることも出来ないほど突然だった、、、

1992年、エチオピアアディスでの内乱に巻き込まれ3ヶ月ぶりに泣く泣く帰国したとき知人の紹介で出会ったインド人のクマンとは
アフリカのダイヤモンドビジネスの話で意気投合して以来ずっと
ビジネスパートナーを組み何でも打ち明けられる仲になっていた。
お互い家族を紹介しあい休日は一緒に食事に行ったり旅行もしたり
俺がインドに行った時は必ず彼の実家に顔を出し時間がある時は泊まったりもしていた。金の貸し借りも平気、インドから電話で
「クマンさん、予定はずれて あしたちょっと銀行に金足りなくて、、、500入れといて、、、来週日本帰ったら返すから、、、」
クマンとは3年位一緒に会社起こしてやっただろうか、、、
それは御徒町に住所を構え 1ヶ月100万ドル~200万ドルベースでインドからダイヤモンドを輸入し成田と甲府、そして御徒町にも宝石加工会社をつくり これでもかと言う位ジュエリーを生産し続け 表面の店舗では年間10億、裏ではそれの数十倍の売り上げを上げる会社に成長していた。
売り上げの悪い2月と8月は社員20人ほど引き連れて 工場見学と称して甲府石和温泉に旅行してドンちゃん騒ぎ、(今では絶対言わない)時にはみんなで「心をひとつ、一致団結!!」なんて言って 社員一同強制的にグアムマラソンに出場させて 社員に「そんなに儲かっているならもう旅行はいいからボーナスあげて!」なんてのた打ち回られ、落ち込んだりで意気揚々としていた。
この時 俺は会社勤めはした事はないが社員心理をよく学んだ。
ある時、女子社員の一人がボソッと言った、、、
「社長は嫌いですがこの会社は好き、、、この仕事が好き、、、」
それを聞いた俺は一発きれて「おまえなー俺がやってる会社、俺の会社、俺が嫌いなら今すぐやめろ!!」
即刻くびにした。
しかし明らかに俺が間違いで俺が悪かった事に気づかされた、、、でも遅かった、、、その子を傷つけたことはずっと引きずっている、、、
まあ、人はちゃっかりしたもので、、、
2月、、、寒いからと南半球の暖かい国オーストラリアにみんなで行こうとまた社員一同引き連れてケアンズに旅立った。
1週間の旅、遊ぶのに人数が多すぎて動きがにぶく意見も合わせるのが難しいと言うことで男子と女子に別れて遊ぶ事にした。
よく考えるとちょっとおかしな話、、、
時に男子はスカイダイビング、時に女子はライセンス取りにスキューバーダイビングへと、、、
旅の最後の日の夜、ケアンズで一番大きなシーフードレストランで
食事をした後のこと、、、
一緒に来ていた添乗員の古河さんが唐突に「尾茂さん、みんなでおもしろい所行きましょう!ストリップ!!女の子も経験のために、、、みんな楽しめますよ!!!」みんなお酒も入っていたせいか、「行く行く!」女の子達もみんな「わーおもしろい!!」
俺が誘ったってぶつぶつ言って乗らないくせにこんなにノリノリははじめて、調子をよくした俺は「古河さん、もう貸切!そのストリップ貸切にしてよ!!」みんなきゃーきゃーいいながら
「社長~気前がいいー!よっ!男!!」わかってはいるけどもう止まらない、、、持ち上げられ、おだてあげられ、たてまつられ、お酒が回って何が何だかわからない。
エントランスに立っていた黒人の大男に100ドル握らせたのまでは覚えているがエントランスフィー全部でいくら払ったのか覚えてはいない。もうこうなったら典型的日本人観光客!
中ではトランスミュージックがガンガンで自分が立っているのか飛んでいるのかもわからず、、、そのまま席に通されショーはすぐさま始まった。
赤いライトにミラーボール、フラッシュライトに裸の女、、、
もうそれは別世界だ!
女子社員も目は釘ずけ、男子は目が点で口あけっぱなし、、、
ダンサーも乗ってきたのか若い男子社員を舞台に誘い出す。
ここはもう貸切のパラダイス!やれやれーどうにでもなれー
狂乱のにぎりこぶしを頭高く振り上げていたのは気がついてみると
俺一人だった、、、
恥ずかしがって一向に舞台に上がらない若い子に ダンサーは諦めてなんと俺の手をとって舞台に引きずり上げた。
それまであれほど恥ずかしがって手をちじこめて小さくなっていた男子社員が「社長ーやれやれーいけいけー!!」
俺はダンサーにやられるがまま踊り、ぬがされ 俺の一物にゴムを
かぶせられ、、、
その後はほんとに覚えてはいない、、、

次の日の帰国の朝、、、
そう、この旅行には俺の嫁 美香とお母様も来ていたのだ。
帰りの7時間あまりの飛行機の中、誰一人口を利こうとはしなかった。ただ一回、美香のお母様が俺の隣に来ていきなりそっと俺の腕をつねくりあげてボソッと言った、、、
「あなたみたいな小さなち0こ見た事ない!!」
あーお母様も「ち0こ」って言うんだー 俺にはそれがみょーに
おかしかった、、、

オーストラリア旅行から帰ってきて数ヶ月がたち、あの件も落ち着いた5月、
クマンから電話で「尾茂さん、あした棚卸ししたいから帳簿と在庫持って家きてくれる?」
俺達は半年に一回位 帳簿と在庫をてらし合わせてインドと連絡を取り合い今売れている在庫の調整をしていたから、、、いつもの事ではあった、、、
その日仕事が終わって金庫からすべての在庫をスーツケースに詰め込んで家に帰り寝入っていたその時、遅くに珍しくクマンから電話が入った。「尾茂さん、すみませんが明日棚卸し夕方からにしてもらえませんか?」
いつもはその日は会社休みにして朝から棚卸しするのが普通で何か
おかしいなあとは思ったが疑うことはなかった。
翌日、約束通り夕方少しはやめの4時、俺はあまり夜遅くまで在庫の整理やらお金の計算やらをしたくなかったから、、、
俺はスーツケースに詰め込んだダイヤの在庫をバサッバサッと袋ごと机の上に置いた。俺達が主力で売っているテーパーダイヤのロット、4000カラット、マーキスダイヤ、ペアシェープダイヤ、メレダイヤ、バケットにハート、ボカにして1000万ドルあまりの在庫だ!
「尾茂さん、在庫ありすぎじゃない?来月から少し仕入れ控えよう、、、インドの方ももうこれ以上在庫増やせないって言っている、、、」インドのシッパー会社から資金援助も受けていたから
その意見も大切だ。
クマンとの話し合いや帳簿の照らしあいに幾分時間がかかり
もう、時計はすでに12時を過ぎていた。
頭は眠くてもうろうとしてきて、いつもは10頃には寝ている俺なので口も渇きろれつが回らなくなってきている。クマンが
「尾茂さん、もう遅いから在庫はこのままにして僕は触らないから
明日にしませんか?棚卸し、、、」
俺は明日も会社休みにする訳いかないので「このテーパーだけは持っていくよ。」
俺は100カラットあまりのテーパーロットの袋をつかんでポケットにしまいこみサッサと車で帰宅した。
まずはベットで眠りたいと思っていたから、、、

朝、まだ何かモヤモヤした頭で会社に行き夕べ持ってきた100カラットあまりのダイヤを店長に渡し「ごめん、棚卸しまだ終わらなかったから今日一日これでやっておいて、、、」
俺はそう告げ、クマンの家に向かった。
目黒のクマンの家に向かう間、やっといろいろな事が頭の中をめぐりはじめた。それまでいつも仕事上最悪の事を想定して動いていた。なんせ100万ドルだってダイヤならポケットに入ってしまう世界だ!
最初の取引では絶対うたがってかかっていた、、、人には俺はパラノイヤとまでやじされ現金と引き換えでなければ1カラットたりとも渡した事はなかった。何かおかしい、、、
これはやばい!そう思った瞬間、俺の頭の先から足の指先まで血の気がひいた。
すぐさま車を停めてクマンに電話を入れた。ぷるるる、ぷるるる、
出ない!!血の気がひいた俺の体は一瞬でフリーザーに閉じ込められたように硬直した。硬直した身体を無理やり動かし携帯にも入れてみた、、、 、、、 、、、
車を脇に停めたまま、、、血の気のひいたまま、、、硬直した体で携帯を持ったまま、、、電話はなりひびく、、、
その朝一番の飛行機でクマンとその家族は飛んでいた、、、

2008年5月

そろそろジムでも行こうかな~と思っていた午後4時、
めったに相手の方からかかってきた事がない塚本氏から突然の電話、、、「どうかしましたか?、、、」
「今晩そっちに行こうと思って、、、」俺は少し動揺した自分をかくしながら「それでは、ホテルとっておきますよ。ゆっくりサウナでも入って飲みましょう!!」
電話を切ってすぐ 鹿嶋駅前のホテル鈴章をとり、料亭花壇に予約を入れた。東京から車で来る塚本氏を待っている間、いつものようにジムのランニングマシーンに乗り今までの事を思い出していた。
1995年、パートナーであったインド人のクマンにはめられて会社ごと全部もっていかれ 途方にくれボーとしている時、塚本氏が
「尾茂くん、何がしたいの?」
俺はぼそっとつぶやいた、、、
「レースがしたいな~ 競馬じゃないですよ!自動車レース、、、
レースなら勝てるかもしれない、、、」会社もっていかれて途方にくれている矢先 よくも軽く軽く言えたものだ。
「尾茂くん、いくら欲しいの?」
すかさず俺は「エンジン開発してシャーシーはオリジナルで参戦したい!!唯一世界共通のレギュレーションで戦えるF3ですね、塚本さん!!5億ほどもあれば、、、」ちゃんとしたみたてもなかったが これも軽く軽く言ってみた。
「う~ん、、、」塚本氏は大きくうなずき、大きくタバコを吸って
「尾茂くん、5億はないな~ とりあえず1億5千万でやってみな~、、、」無造作に差し出した現金を俺は「それでは少し足りない」などと説得する事などできず すでに抱きかかえていた、、、
それから6年 レースレースで結局5億以上使ってしまい 敗れた
俺は今度はオンド・マルトノだ!って訳のわからない楽器にのめりこみメジャーにするには世界で初のオンド・マルトノの美術館だ!
って2年の歳月に4千万ほども使ってしまった。

予約を入れておいた花壇の個室で二人、、、
不安を打ち消すようにハイテンションで俺は口でまくしたてた。
「もう少しですよ!!オンド・マルトノ、、、早く聞かせたいな~
いい音色、、、」そんな上付いた話には乗らず落ち着いた表情で
穏やかに塚本氏はつぶやいた。「尾茂くん、そろそろ東京に戻ってきなよ!、、、そんなに引きこもってないで、、、東京でオンド・マルトノ早く作りなよ、、、応援するからさ~」俺は引きこもりなのか!?引きこもって逃げ隠れするように鹿嶋で過ごしていたと言うのか!?、、、俺は自分でもわかるぐらい肩がガクッと落ちるのも、ハイテンションだった気持ちが落ちて行くのも、それまでワインにまかせて赤らめている顔の色が落ちていくのもわかった。
考えてみると美術館もオンド・マルトノが思うように作れない自分からの逃げで作っていたような気がする、、、
この時初めてそんな自分に気づかされた。
「塚本さん、浅草の倉庫貸してください!!あそこに俺、工房作りますよ!!俺が行けば毎日掃除して庭もチョー綺麗になりますよ!!」そんなちゃっかりした自分にははなはだ嫌気がしてはいたが、俺はガクッと落ちた肩に気持ちを持ち上げて自分をもう一度奮い立たせるように言い放っていた、、、
オンド・マルトノ ラボラトリーの始まりだ。

1988 夏 その3

ホテルでの朝食は何故か落ち着く、、、
とくにホテルで出される和朝食メニューが格別、、、よくあるビュッフェ形式で和食もコンチネンタルもあるセルフで取るものではなくて、そのホテルにある和食レストランで一人ひとりお盆にのせられた 焼き魚におひたし、煮物もあってしゃれたひじきに梅干、おしんこ、、、定番の和紙に包まれた焼き海苔にご飯は小さな小櫃に入って来る、、、上品に軽くついで二杯位しかない立ったお米、、、都会のビルの上だと言うのに綺麗に作られた日本庭園が窓から見える、、、甘い立ったお米をゆっくり口の中でまわして味わってゆっくりお茶を飲む、、、気が利いた女の子が着物姿で清々しくお茶をついでくれる、、、気持ちよい朝、、、
こんな時は一人がいい、、、
夕べ泊った女とこんな所に来て朝から香水の匂いを嗅ぎながらお茶を飲んでもゆっくりはできない、、、そんな時はルームサービスで朝食を頼んで一緒の白いバスローブを着たまま、髪の毛ボサボサのまま、窓際にテーブルをくっつけてとなりどうしの彼女の足をスリスリしながら、景色を見ながら、食べるのがいい、、、
まったく男は勝手だ。
俺はたまに一人でニューオータニに朝食だけをとりに行ったりする、、、どんなマッサージよりも、どんなエステよりも、リラックスできるから、、、ほんの一息、、、
いつだったか美香が言った、、、(尾茂くんは私がいなくても一人で生きていけるね、、、)
美香はとびきり料理がうまかった、、、和食は格別、、、
でも、そんなんじゃないよな~、、、そんな言葉が何故かむなしい、、、

あっ、ヤバイ!、、、飛行機の時間に間に合わない、フライト時間は9:55分!
思いにふけりながら朝食をとっていすぎて8時をまわっていた。俺はいそいでチェックアウトを済ませ、車で空港に向かった。
バジェットレンタカーに車を返し、ボーディングゲートまではほんの少しの距離だったが送迎バスで送ってもらった。チェックインカウンターは9時を過ぎていたせいか誰もいない、、、小走りでスーツケースを引きながらカウンターに行きチェックインを済ませボーディングゲートに着いた時にはもうすでにみんな搭乗していた。
悪そうな顔をしてボーディングパスをゲートで渡すとアビアンカ航空の赤いスーツを着た女性はニコッと愛想よく笑ってくれ、俺を違うゲートに案内してくれた。
そうそう、今日はファーストクラスだった、、、もう安心、、、
ファースト専用のタラップを歩いて最前部のファーストクラスのシート、もうみんな搭乗しているはずなのにシートには誰もいない、、、20席ほどのファーストに今日は俺一人だけだった。こんな贅沢なスペースになにかスペシャルな気分で、、、
何故か少し恥ずかしい、、、
予定通り、離陸してドリンクサービスが始まった。
タルタルソースにシュリンプのオードブル、オリーブとピクルス、クラッカーにクリームチーズがのったトレーが白いテーブルクロスのひかれた上に置かれた。ドリンクはホワイトワインを注文してゆっくりする事にした。朝、ホテルで朝食をあんなにとらなければよかったと少し後悔をしていた。三杯位ワインを飲みほし、お腹がいっぱいになった頃、メインの注文をしに来た。(ビーフにしますか?フィッシュにしますか?、、、)って、迷って断ろうとした時、スチワーデスは(今日はお客様だけですので両方召し上がってください!、、、)って、、、俺は嬉しそうな顔だけはしたが内心、胃袋はギブアップを叫んでいた。
それでも俺は慢心の笑みをスチワーデスに向けて無理やり口にほうばりたいらげた。
ほんとにお人よしな俺、、、
お腹がメチャクチャきついのでシートを倒して横になって寝る事にした。ファーストクラスのシートはほぼフラットになるのでありがたい、、、毛布を掛けてゴーという飛行機の音の中、うとうととして寝返りをうった時、少し薄目を開けて見た光景に俺の目を疑った。
隣の列の最前席に二人の女性がすわって食事をナイフとホークまで使って食べている、、、(あれ?ファースト、俺だけじゃなかったっけ?、、、)これは夢?、、、
二人は白いブラウスに赤いリボン、赤いスカートに黒いストッキング、黒いパンプスは脱ぎ捨てて前のフットレストに足を投げ出している、、、(なんなんだ!この光景は、、、)二人はスチワーデスだった。スチワーデスだって昼食をとるのはわかる。だがしかし、、、
いくらお客の席が空いているといったって、、、俺が寝ているといったって、、、たくさん料理があまっているからといったって、、、そこにすわってくつろいで食事をするなんて、、、
俺には信じられなかった。
それにパンプスまで脱ぎ捨てて足を投げ出しているなんて、、、黒いストッキングのつま先のおりかえして縫ってある縫い目を見せられる事は俺にはどうにも刺激が強すぎる、、、
いつだったか、車の隣に乗せた彼女が調子にまで乗ってストッキングをはいた足をパンプスを脱いで立てひざをした事があった。俺は頭にきて(なんて事するの!犯されても知らないぞ!!)本気で怒った事がある、、、
あれも、これも、、、人間なんてホント何考えているのかわからない、、、
まあ、これがアビアンカ航空、コロンビア!
何故かワクワク、、、期待が持てる、、、
シェードをスライドして外を見るともう夕暮れ、、、雲が赤く染まり、空の上の日が落ちるのは早い、、、徐々に機体が旋回をはじめ、高度を下げるのがわかった。
雲のあいまを抜けるともうすぐそこにはボゴタの街の明かりが広がる、、、明かりは碁盤の目のように整列していて綺麗だ。
標高2700mの都市、ボゴタ、、、
俺の夢が広がる、、、

1988 夏 その2

ロサンゼルス国際空港、、、
俺にとっては何か独特な感じ、、、
どの国の空港もそれぞれ、独特な匂いがするが、この空港は俺には匂いを感じない、、、
よく、人はアメリカンドリームだなんて言ってワクワク胸を躍らせて成功をつかむため、アメリカ入りするものだが、俺には無機質で匂いがなく、何故か寂しい、、、
初めて香港カイタック空港に降り立った時でも、初めてバンコック入りした時も、ボンベイに真夜中着いて真っ暗な道を走っていた時でも、、、トランジットでアムスに寄った時でも、景色や町の匂いや空気が何か俺をワクワクさせる、、、だがここロスにはそれがない、、、
はじめから好意を抱いていない者には女と一緒で、そうやすやすと受け入れてはくれない。
空港パーキングではいつもテープのアナウンスが英語とスペイン語で繰り返し流れている。
俺は空港にあるバジェットレンタカーでシボレーを借りてダウンタウンに向かった。
今回、コロンビアは初めて、、、ロスからボゴタの往復ディスカウントチケットを買うため、ロスで二泊の滞在だった。
中心地、リトル東京のすぐ脇にある全日空ホテルにチェックインしてその近くのエージェントに入った。もう、夕暮れ時の閉店間際だったからなのかいやに世話しない、、、でも今回、チケットの手配をして明日発券してもらわなければ、明後日ロスを飛び立てない、、、このロスには二泊以上ごめんだ。(Excuse me, I want to buy a ticket to Bogota Colombia as soon as possible.)人が入って来たというのにもくもくと書類を書いているカウンターの女性に声をかけた。(はい!、、、チケットですね。少々お待ちください。)俺がベタベタの英語でしゃべったからなのだろうか?、、、あまりにも日本人的な顔つきだったからだろうか?、、、彼女は日本語で受け答えた。この世話しない中、無愛想だが手際はいい、、、予約のモニターを見ながら(9:55発、アビアンカ航空がありますが、、、クラスは?)(エコノミーでお願いします。あっ ちなみにビジネスクラスはいくらですか?)日本ではエコノミーとビジネスクラスの値段は倍以上の差があるが、海外ではそんなに違いがない場合があるので念のため尋ねてみた。すると、、、(この便はビジネスクラスはなくてファーストクラスが100ドルプラスの620ドルですが、、、)(えっ!それそれ!ファーストクラスでお願いします!)俺がここロスまで来る日本で買ったチケットより安いのに驚いた。しかも、100ドルプラスでファーストだ、、、しかし、このシステムはわからない、、、
彼女はデスクの中からチケットを取り出して手書きで発券しようとしたので俺はすかさず、(明日のフライトには間に合いますか?)と、聞いてみた。彼女はモニターをチェックする間もなく(たぶん、、、)この便はいつもすいているようだ。
予定より一日節約できた事と明日、ロスで何するか悩まなくてすむ事で少し嬉しかった。早々、チケットを受け取りホテルに戻ってシャワーを浴びて町にくりだす事にした。
外はまだ明るい、、、
成田から12時間、ロス行きの便はいつも満席状態で空いている席の肘掛を起こしてシートを三席位占領して寝る事はできない、、、シャワーを浴びて腰にバスタオルを巻きベットカバーをめくる間もなく上に横になっていたらウトウト寝てしまった。3時間あまり、、、
枕元はよだれでべっとり濡れている、、、時間がない!スーツケースから新品のBVDパンツと靴下、クリーニングしたてのシャツとジーパンを取り出して、いそいで着替えた。何を期待しているのか?、、、こういう時はいつも新品のBVDと靴下でワクワク町に飛び出す。
外はもう暗い、、、
ロスの町はどこも道がだだっ広い、、、さすがアメリカ、外には人っ子一人いないせいだろうか、、、道が広いためだろうか、、、何か、寒々しい、、、
海岸沿い、テレビでよく見るビキニにローラースケート、裸でランニング、そんなものは何もない、、、ここサンタモニカ、、、なぜか思い出すのは吉川晃司。美香は大の吉川晃司ファン、家で飼っているオスのシーズの名前も晃司だった。あ~あ、もうこんな所で美香の事、思い出すなんて、、、新品のBVDの特攻服着込んでいるというのに、、、
誰もいない閑散としたサンタモニカを後にしてまた町の方に向かった。一時間位走り回っただろうか、、、俺は何をさがしているのだろう、、、しゃれたレストラン?、、、ディスコ?、、、それとも女のいる所?、、、まあ、なんでもいい、、、このロスの空気を吸っているだけで、、、
こういう時の時間は果てしなく長い、、、
センターの裏通り、小さな商店が軒並み立ち並ぶ、明かりの光々と付いたストリート、テンポのいいスパニッシュの曲が流れる、、、メキシコ人街だ。俺はビルの谷間のちょっとした空き地に車を停めて歩く事にした。こうも乱雑とした商店街はロスではめずらしい、、、売っている物といえば食料品に洋服、下着、おもちゃに家具、あらゆる日用品がすべてここでそろう。薄暗い路地を入っていけば、怪しい赤いランプ、、、アダルトショップまである。そんな下卑た路地裏には薄汚れたランニングシャツのメキシコ人であろう奴がしゃがんでカップヌードルをすすっている。腕にはへたくそなへびの刺青、、、何か香港の九龍城を思い出す、、、
俺は腹がへっている事に気が付いた。こんな所まで来て、特攻服まで着込んでカップヌードルはないだろうと思い、小奇麗なメキシコレストランを探した。
行けど行けど、タコスのファーストフードやハンバーガーショップ、オープンスペースのカウンターBARばかり、車に戻ってホテルに帰ろう、、、そう決めてさっきとは違う道をブラブラ帰ることにした。同じ道ではつまらない、、、俺の人間ジャイロは何処へ行っても正確だ!
途中、3枚、9ドル99セントのTシャツを買って、もう車にまじかな所でオレンジ色の看板を見つけてしまった。おー吉野家だ!
結局、俺は味噌スープにビーフボールをかけこんでホテルに戻った。
時間は11時を過ぎていた。新しくおろしたBVDのパンツを脱いで広げたままイスの肘掛に掛けた。(もったいないから明日もこれをはいて行こう、、、)
3枚、9ドル99セントのTシャツが入ったコンビニ袋のような手下げが何故かむなしい、、、
明日の朝は早い、、、
ロサンゼルスの夜は長かった、、、

1988 夏

美香と一緒になってから8年になる、、、

高校時代、遊んでいた町と言えばいつも吉祥寺。北口商店街をずっと行った住宅地の入り口あたりにあったコパカフェにいつも友達とたむろしていた。だから、バイトするのもみんな吉祥寺、、、俺は近鉄裏のクラブナポレオンに勤め始めた。
5時~12時、日給8000円、交通費支給。十代の俺にはいたって魅力的で、黒服はカッコよかった。そんなクラブナポレオンには30人ほどの女の子がいて、真ん中にはグランドピアノの生演奏のある吉祥寺では一番の高級クラブだった。
美香はそこのNo1,葵、、、一ヶ月一ヶ月の女の子の売り上げはクローク裏の控え室にはられていてギャラは歩合でみんなにわかるようになっていた。美香はいつもダントツのトップで2位の女の子とは2倍位の差で歴然、ギャラは計算すると200万円を超えていた。
ピンクや白、時には黒のシャネルスーツに身をつつみ、指輪やネックもいつも違い、ひときわ輝いていた、、、そんな美香に俺はおちていった、、、
12時、店がひけてから掃除をして1時過ぎ、美香とおちあうのはいつも裏にあるグリックと言う喫茶店、、、先にあがっていた美香がいつも待っていた。俺が迎えに行くとコーヒーを飲む間もなくいつものように美香の実家がある大塚までタクシーで向かった。
ある日、美香が俺に(うちの店の常務、、、気をつけた方がいいよ、、、私達の事は絶対ばらさないでね!、、、ホントは私のおじちゃんだから、、、)俺はゾッとしたが美香の事好きな方が断然勝っていた。こんな水商売、店の従業員が女の子に手を出すのはご法度、、、そんな事位知っていた、、、
男は時に理性が感情をこえられない、、、未熟と言うのだろう、、、これを、、、
いつもの5時の出勤時間、着替えの黒服をかかえて店に着くと、そんなに早くに停まっていたことのない黄色いカマロベルリネッタが店の前にあった。吉祥寺で黄色いカマロはひときわ目立っていた。誰もが知っていた、、、常務だ!いつもグリーンやエンジの渋い玉虫のスーツに高襟のオーダーシャツ、白地に赤い牡丹の花柄の太いネクタイ。靴は傷一つない黒のエナメル、髪はどんなに暴れようとも乱れないスプレーでガチガチ固めたリーゼント。いつも綺麗に手入れされた爪先に、、、常務は表の肩書き、、、そんな常務に俺はあこがれていた。(こんなに早くどうしたのだろう?、、、)俺はそう思いながらいつものようにホールに入って行くと何かいや~な空気が先から漂ってくる、、、一番奥の厨房近くのボックス席のソファーにタバコをふかして足を組んでいる常務がいた。(おはようございます!こんなに早くどうしたんすかー?)(尾茂よ~とぼけないでこっちへこいよ、、、)俺は一瞬でこのヤバイ状況がわかり足がすくんだ。(おまえ、葵とつきあってない?、、、)いやにおとなしい口調に俺は口ごもってしまった。(いや、、、別に、、、)いきなりわき腹にけりが飛んだ、、、うずくまった俺をそのまま首つかまえて厨房に連れて行きゴ~ン、、、一瞬耳が聞こえなくなり、何がなんだかわからない、、、(わっかてるんだよ!嘘つくな!、、、うちのNo1の子に手出しといてどう、けつとるんだよ!)俺は落ち着いていた、、、いや、なにか脱力感と気だるさで体が動かない、、、頭から汗が流れる、、、それでも必死で口を動かして答えた、、、(いや、俺は真剣です!真剣につきあってます!!好きだから、、、葵さんから聞いています、、、常務はおじさんだって、、、真剣につきあいますから、、、お願いします!、、、)その後の言葉は出なかった、、、
それ以上、何か言ったら泣きべそかきそうで、、、かっこ悪くて、、、頭痛くて、、、
頭から流れていたのは汗ではなく血だった、、、
額をつたわり、鼻頭を二つに分かれ、口元を通り、あごで一つになってあご先からポタポタと床に血のしずくが流れ落ちていく、、、俺の頭のてっぺんはミネラルのビンでパカッと割られていた、、、(今日は病院に行けよ、、、縫った方がいいぞ、、、店は休め、、、)俺はそのまま倒れた、、、そんな常務の声はやさしく、、、あたたく、、、感じた。
あれから、8年、、、俺は店をやめ、常務であるおじさんにいろいろ教わった。
いい事、悪い事、、、美香や親戚みんなおじさんの事、お兄ちゃんと呼んでいた。
お兄ちゃんはいつもかっこよく、強く、やさしく、粋で、、、俺の憧れだった、、、俺はホントにお兄ちゃんの世界一のお抱え運転手になりたかった、、、どこの義理の場であっても、、、
幹部会の時だって、、、何処の誰よりもお兄ちゃんをかっこよく、大きく見せられる自信はあったから、、、いつだったか、お兄ちゃんは俺に言った、、、(尾茂くんさ~なれないよ、お前はヤクザには、、、でもさ~人間、三つの式ってものがあってね、、、成人式、結婚式、葬式、、、これをキッチリ考えてやんな、、、だれそれのでも、、、これだけキッチリやれば最低でもキッチリしたいい人間になれるよ、、、)

美香と一緒になってから8年目、夏、、、
カーセンサーで車を探していた。
その中で目にとまった1台の車、、、真っ赤なカマロベルリネッタ、、、新車を買うつもりはなかった。2,3000Km位ならしが終わったような新古車、、、100万円位安いから、、、
そのカマロは大阪の業者の広告だった。
1988年式、走行距離2400Km、298万円。
俺は迷わず電話をして値切らず銀行に現金を振り込んだ、、、大阪からの陸送代3万円も、、、
俺は美香に言った。(俺、明日からコロンビア行ってくる、、、いつ帰れるかわからないけど、カマロ買っといたから、、、たぶん来週末には届くと思うよ!それでみんなで海でも行ってこの夏、楽しんでおいで!、、、)いつ帰れるかわからない寂しい思いをさせてしまうだろう償い、、、それとも、好き勝手な事している後ろめたさからだろうか、、、
俺はカマロを見ることもせずコロンビアに旅立った。それより何より、これから起こる事への期待感にワクワクさせる方が大きかったから、、、
カマロのかっこよさは知っていた、、、あのお兄ちゃんの乗っていた憧れの黄色いカマロ、、、
でも、俺のは赤く、新しい、、、
美香のところへ帰ってくる頃、もう夏も終わっているだろう、、、
1988、夏、、、

はじめて(オンド・マルトノ的、、、)をお読みになる方へ、

ようこそ(オンド・マルトノ的、、、)へ、

私のこれまでの体験、経験からオンド・マルトノに出会い、その音色に惹かれていく中、
第一次世界大戦中にモリス・マルトノによって生み出された電子楽器オンド・マルトノを掘り下げていく、、、
オンド・マルトノとは、、、
オンド・マルトノの音色とは、、、
第一次大戦、人間が起こした酷い死闘の中、何故こんな音色が生まれたのだろう、、、

1981年、突然の事故により亡くなったモリス・マルトノとは会った事がない私が、
素直に考えたオンド・マルトノの音色を、初期に製作された真空管電子楽器オンド・マルトノの研究、解剖し、再現したいと思い、製作していく中、
楽器に触れる事で徐々にモリスを理解し、思い、そして彼と会話していく、、、
もし、モリス・マルトノがここにいたら、、、
モリス、もっと教えてほしい、、、
そんな流れを今、自分が裸になって伝えたい、、、と思い、書き綴るものです。
(美道)から始まっておりますので、初めてお読みになる方は是非、(美道)から読み始めていただきたいと思います。

                     尾茂 直之

1991.春 追伸

今ここにあらためて、当時お世話になったみなさんにお礼を申し上げます。
朝日新聞社 ナイロビ支局特派員(1991年当時)渡辺さん、ほんとに貴重な体験させていただき、ありがとうございました。また再度ナイロビで再会した時に飲みに連れて行ってくださったことは忘れません。
現地で親切に対応していただいたエチオピア在日本大使館 二等書記官(当時)五十嵐さん(元警察官)、
本当にありがとうございました。その後、再びアディスに訪れた時、大使公邸で日本料理をもてなしていただき感激いたしました。そして、名前はわかりませんが大使車の運転手さんにもお礼を言いたいと思います。ありがとう!
日本で私の家族に大変親切に対応していただいた外務省アフリカ担当の方々、私の経験不足のため、ご迷惑をおかけしまして申し訳ありません。いろいろとありがとうございました。
なにより、忘れてはならない、、、
1991年、アディスで勇敢にスクープを取り殉職したBBC放送のテレビカメラマン、スティーブに哀悼の灯をともしたいと思います。
スティーブ、本当にいい思い出、ありがとう、、、

                               尾茂 直之

1991.春 その14 完

ゆっくりゆっくり時は流れていく、、、
つらい時も、悲しい時も、嬉しい時も、、、
ゆっくりゆっくり時は過ぎていく、、、
思い出と言う余韻を残して、ゆっくりゆっくり流れていく、、、
一生懸命生きようとも、怠けて生きようとも、おもしろおかしく生きようとも、、、
同じ時を刻んで、ゆっくりゆっくり過ぎていく、、、
でも、去り行く現実はすばやく、早い、、、つかむのは難しい、、、

俺がアディスにつかまり、音信不通になっていたのはもう四ヶ月を過ぎていた。
このクーデターの中、どうあがいてもしょうがないとたかをくくっていた俺だったが、会社の事とか、お金の事とかが気になりだしてきた。支払いとか、給料だとか、、、通常、会社は約束手形とか振り出していたら、どんな理由があろうとも支払いは待ってはくれない。銀行に残高がなければパンクする、、、それを二回繰り返せば倒産だ!俺の会社はいっさい約束手形は振り出してはいなかった。以前、手形金融をやっていた俺は、いやと言うほど手形の苦しみは知っていたから、、、回し手形や融通手形、買い手形に売り手形、、、何億ものお金が、手形と言う紙切れに化けて宙を舞う、、、そんな、醜い紙切れに化けて出られたら人間なんてもろく吹き飛んで、むごたらしく消えていく、、、いっそ、あの弾薬庫の爆発で吹き飛ばされたステイーブのように、爆弾で木っ端微塵に吹き飛んだ方が、綺麗で美しいのかもしれない、、、人間は、、、あれも、これも、現実、、、

来週、イタリアからアリタリヤ航空がチャーター便を出すと言う情報がホテルに舞いこんで来た。やっと、出国できるかもしれない、、、そう思うもつかの間、ジャーナリストの一人が俺に耳打ちした。(あくまでもイタリア人救出のためのチャーター便なので、イタリア人優先で、空いた席があれば乗れるかもしれない、、、)と、、、おいおい、じゃーなにやっているんだよ、日本は!JALが飛んでくるのはいつなんだよ!!俺の馬鹿さかげんでアデイスに舞込んだ一人のためにJALが飛んでくるはずもなかった、、、
とりあえず、荷物まとめてその時、空港に行こう!そうすればチャンスはあるはず、、、俺一人何とかなるはず、、、香港でも、フィリピンでも、バンコクでも、ボンベイでも、いつもどうにかしていた。こういう時、一人は強かった、、、
そんな悶々としていたロビーに大使館の五十嵐さんが俺を訪ねて来た。(尾茂さん、いろいろ大変でしたねーいよいよ空港再開で飛行機、飛ぶそうですよ!)(それって、イタリアからのアリタリアでしょ?)(そうそう、でも次の日、エチオピア航空も飛ぶそうです。二つでトライしましょう!私も空港行きますから、、、)心強い五十嵐さんの言葉に、俺は俄然元気が出た。後先考えずとにかくアデイス出国だ!
イタリアからアリタリア航空チャーター便が飛んで来る日の朝、五十嵐さんが運転手と共にホテルに迎えに来てくれた。車はもちろんあのジープ、、、玄関まで引いて待ってきたスーツケースを運転手は無言のままさっと取って荷台に入れてくれた。荷台には綺麗にたたんだ日の丸の旗がそっと置かれていた、、、バタン!と荷台のドアを閉めると運転手は後ろのドアをサッと紳士的にわざとらしい振る舞いでニコッと笑顔で開けてくれた。(さあ!大使!)ってな感じで、、、俺たちはわかっていた。あの、必死で銃弾から逃げのびた、あの時の思い出を、、、二人はボンネットにある銃弾の跡を目線でぬぐって顔を見合わせた、、、
無言の会話がなぜか心地いい、、、
空港に着くともう、人だかりで長い列ができていた。俺はスーツケースとバッグを持ったまま列の最後尾に並ぶ事にした。五十嵐さんが(尾茂さん、ここで並んでいてください、カウンターで僕が聞いて来ますから、、、)すこぶる親切だ。後は五十嵐さんに任せよう!
しばらくすると、五十嵐さんはボーデイングパスを持って戻ってきた。(尾茂さんこれ、、、とにかく、ボーデイングパス。)乗れないかもしれないが乗せられるだけ乗せるとの事、、、
みんな荷物が多くて飛行機のバランス上、シート全部の人数乗せられないらしい、、、まあ、白紙のボーデイングパスでももらえただけラッキー、チャンスがあるって事だ。俺はここまでやってくれた五十嵐さんと運転手に感謝して帰ってもらう事にした。何時間待たされるかわからないから、、、(五十嵐さん本当にありがとうございました!いろいろ僕のためにご迷惑おかけしまして、、、)(これから尾茂さんはどうなさいますか?予定通り、ザイールに?、、、)(いや、たぶん日本に帰ると思います。お金もありませんし、、、)(それがいい、日本のみなさんも心配している事だろうし、、、)(ええ、、、また、五十嵐さん会いましょう!絶対、来ますよ!アデイス、、、)そんな会話で五十嵐さんと運転手と握手をかわし別れた。
2、3時間待っただろうか、、、いよいよ、搭乗が始まった。おしくらまんじゅうのようになかば強引にズンズン列が前進する。そしてピタッと止まった。俺の前の人のところで今日の搭乗は打ち切りだった。残ったのは20~30人だっただろうか、、、乗れない事に腹を立てて騒ぎ出すものもいたが俺はいたって冷静、、、ホント言うと出国は早いところしたかったが、このアリタリアに乗れたところでローマかミラノでしょ?イタリアに行ったってその後のチケットは持っていない、、、お金もないし、、、今だから言ってしまうけれど、ホテルの支払いはどうしたっけ?、、、俺は払った覚えはない、、、別に逃げてきた訳じゃないし~、、、ちゃんと日本大使館の人に送ってきてもらったし~、、、こんな時に常識なんてものはない、、、ホテルチャージ、一日、200ドルとしてX120日以上、24000ドル、これに食事代にエクストラチャージ50%、、、しめて36000ドル!!払うものか!
ゲッ!今日は飛行機乗れず、あしたのエチオピア航空が飛ぶまで空港内で泊るはめになってしまった、、、ホテルの奴らが追いかけて来ないだろうか?、、、どーしよー?トイレにでも寝ようか?、、、
アデイスに最後の日が暮れる、、、
ものすごい日差しに目が覚めた。空港待合室のシートの上でスーツケース抱えたまま寝てしまった。ホテルの奴らは追いかけて来ないみたいだ、、、
空港は今日も人でごったがえしている。でもよかった。昨日、並んでいた俺たちは優先して空港待合室に入っており、先にチェックインをしてくれた。スーツケースも空港職員が運んでくれた。もうこれで確実、出国だ!あれ?何処へ行くのだろう?、、、渡された新しいボーデイングパスを見て初めてわかったありさまだ。ナイロビだった。予定通り、、、4ヶ月遅れの予定通りの空路、、、その後の事はナイロビのホテルでゆっくり考えよう!、、、

エチオピア航空はいつも小さなおんぼろ飛行機、、、何十年落ちの飛行機だろう?、、、いつ落ちてもおかしくないんじゃない、、、
人は本当に危険に身を置いた時、それに気づくのだろうか?、、、
危険と言う現実は経験と共に消化され時と共に過ぎていく、、、それに気づく時、経験となって回避する、、、でも、たとえば、落ちる飛行機に乗ったら経験にはならず現実と共に消えてなくなる、、、
でも、人はそんなものに知らず知らずのっかって人生、生きている、、、
久々に乗る飛行機の窓越しに見えるアデイスの町は、朝日に赤く輝いていた、、、
アディオス、アディス、、、アディオス、スティーブ、、、

1991.春 その13

泣きたくない時、目頭が熱くなったら、天を向いて思いっきり深呼吸するのがいい、、、
思いっきり空気をすってゆっくりはく、、、5,6秒位、、、こんなホンの一瞬が時として大きくかえってきたりする。そんな余裕もなく、時間をお金や自分のエゴでびっしり埋めたって、世間は冷たく世知辛い、、、
愛だと言ったってそれはにせもの、、、
優しさと言ったってそれはその裏にあるしたたかさ、、、
そのうちすべてを失い、ニュートラルな自分さえも見失う、、、
やがて涙も消えうせて、泣く事さえも忘れてしまう、、、気づかずうちに、、、

日本は桜も散り、青い芽を出し始め、つゆの時期に入ったのだろう、、、もう6月。
つゆと同じく俺の頭の中は日本の事を思い出し、じめじめと憂鬱でベッドに入ってもあまり寝付けず、いつもうたた寝だった。
ドゴオ~ン! 今まで聞いた事のないような大きな爆発音とともに俺は寝ていたベッドから床にたたきつけられた。日もまだ昇っていないうっすらと明るくなりかけた空の中、、、
何かが違う、、、まだ目はさめあらず、寝ぼけぎみな俺は、目をこすりながら周りを見渡した。ガラスの破片が飛び散り、閉めていたはずの窓はなく、風がスーと入ってくる、、、寒い、、、部屋に何か打ち込まれたのだろうか?、、、恐る恐るベッドのはじから頭を上に出し窓の方を見た。窓ガラスはすべて吹き飛び、カーテンは巻き上がり吹き込む風で小刻みにゆれている、、、その遠い向こうにはまだ真っ赤に立ち上る大きな火柱ときのこ雲、、、
ホテルから南西に2キロ行った所の弾薬庫が何者かによって爆破された。立ち上るきのこ雲は俺の記憶の中では広島に落とされたあの原爆の映像のようで、確かにそれとはもちろん小さいがきのこ雲ができる位の爆発で2キロも離れていると言うのにホテルの南側の窓ガラスがみごとに全部吹き飛んだ。俺はベッドに散らばっているガラスの破片に気をつけながら這い上がろうとした瞬間、二度目の爆発、、、ドゴオ~ン! 一瞬目がくらむ位の発雷光のような真っ白い光に火柱が上がり、ゆっくりときのこ雲が空に上っていく、、、
今度は俺の目でその様をはっきりと見た。それは今までどこの国でも、想像の世界でも、考えもつかない光景が窓ガラスのない、空気の層しかない、何も遮る物はない2キロ先の
俺の目の前で起こっている、、、ワア~、、、起き上がろうとした俺はまたベッドの下に飛ばされた。ものすごい爆風、窓ガラスはなくまともにそれをうけてしまった。俺はとっさにうつ伏せに顔を伏せた。窓ガラスサッシのすみに残っていたガラスの破片もこの爆風で飛び、巻き上がったカーテンもあおられ、爆風が去り行くとともに静かに元通りに垂れ下がり落ち着いた。衝撃的爆音と凄まじい爆風、、、それにもまして終わった後は不思議な位の静けさと開放感に似た感覚に、脱力感だけが残る、、、以前、オーストラリアで3000m上空からものすごいごう音の中、パラシュート降下した時、パラシュートが開いた瞬間広がる静寂した世界にもよく似ている。
放心状態になっている時、(ドンドンドン!)ドアをたたく音で俺は我にかえった。渡辺さんが何事かと俺の部屋へやってきた。俺はそっと靴を取り逆さまにしてかかとあたりをたたき中に入っているガラスの破片を丁寧に取ると、恐る恐る履いてドアを開けた。渡辺さんは部屋の中を見て驚いた。(尾茂さん、大丈夫ですか?)部屋の中は泥棒に荒らされたようにめちゃくちゃでガラスの破片やら、机の上の書類やら、スーツケースの中の洋服やらがぶちまかれていた。ようやく、初めてその全貌をまざまざ見た俺自身も、よくこの中で無傷でいられたのかが不思議な位で、驚きぞっとした。爆発の瞬間、ベッドの下へ飛ばされ落ちたのが幸いしたのだろう、、、
ド~ン!ド~ン!俺たちは肩をすくめて外の方に目をやった。二度三度また弾薬庫は爆発した。今度は一度目、二度目の爆発よりかなり小さめで爆風までは来なかった。(すごいですね~、、、たぶん、社会国家主義政権の残党の奴らの仕業ですよ!)渡辺さんのこの場での冷静な言葉はやはりジャーナリストだ!(尾茂さん、貴重品だけ持って下にいきましょう!もう、この部屋は使えない、、、朝飯でも食べましょう!)いやに明るい、、、
人間は恐怖だとか、現実だとか、夢だとか、、、
その中にいると客観的には判断できない。
ただ、生きるだけ、、、生き抜く事だけは忘れないもの、、、
それ以外のものは見えなくなる、、、見る必要もない、、、

考える事はみな一緒だ。ぞろぞろとみんな廊下に出てきて下へと向かう、、、エレベーターは一杯で非常階段で下に向かうものもいた。運よくと言うか強引に俺たちはエレベーターに乗って下に降りて来てあきあきしたいつものカフェレストランに入った。相変わらずビュッフェ形式で適当にあるものを取って、煮立った苦いコーヒーをよそう、、、食べ物はクーデターが始まってから物資が入らず、ホテルの在庫ももう底をついたらしい。まばらなソーセージとエチオピアの主食のインジャラだけ、、、これでも尚エクストラチャージを取るのだろうか?このホテル、、、もう、どうでもいい、、、俺の常識、他の常識、、、ここには何もない、、、
ここからはホテルロビーを経て、正面玄関がよく見える。ガラスの回転ドアでその向こうには車付けがある広いパルテ、、、そこにあわただしく白いカローラライトバンが走って来て縁石に乗り上げ、急に止まった。ステイーブのバンだ!ただ事ではない事は様子ですぐわかった。一斉に四つのドアが開き、四人出てきてあわてて後ろのハッチバックを開けた。
そこにはステイーブの姿はなかった。ハッチバックから四人で出されたものは毛布に包まれたタンカで、そこにはもちろん人が一人いた。四人は何かギャーギャー言いながら足でドアを蹴飛ばして開け、中に入ってきた。毛布で包まれたタンカからは血みどろになった腕が一本、垂れ下がっていた。あの弾薬庫の爆破で誰か負傷したのだろうか?、、、
俺は別段、不思議がらず、こんな光景に気にも留めなかった。それより今さっき、凄まじい爆風に飛ばされた俺の頭はクラクラで、他人がギャーギャー言ったところで自分がギャーギャー言っている方で、苦いコーヒーにインジャラをひたして食べるのが精一杯だ。
それにあのガラスをかたずけたところで窓ガラスがないあの部屋では寝れやしないと、今晩の寝床の心配をしていた。
人は気づかずうちにその環境に同化し、気づかずうちにその環境の常識をつくり、気づかずうちにそれがすべてだと思い、時に人を傷つけたりもする、、、

あのタンカで運ばれて来た血みどろの一本の腕は、ステイーブだった。
ステイーブは死んだ。
弾薬庫が爆破される情報を得たステイーブはいち早く現場に到着してスクープしようとしたらしい。しかし爆発は思いもよらず大きかった、、、大きすぎた、、、2キロも離れたこのホテルの窓ガラスさえも吹き飛んだ位だ!近距離にいたステイーブはひとたまりもない、、、
重いテレビカメラを肩に抱えたステイーブを襲った爆風はステイーブを吹き飛ばし、重いカメラを彼の右腕ごともぎちぎって吹き飛ばした。
二人であの夜、ゲラゲラ笑って遊んだあの思い出も、、、二人で語った、あの事も、、、
あの朝、起こった弾薬庫の爆発で一瞬に、爆風に吹き飛ばされ消えた、、、
だんだんと日々が過ぎ、、、
お金だの、、、
会社だの、、、
家族だの、、、
女だの、、、
目の前の現実だけが俺の頭の中に積み重なり、順番に前の事から自動消去されていくようで、、、
だが何故か悲しくもなければ、寂しくもない、、、
涙もあの爆風に吹き飛ばされたようで、、、
早く、このアデイスから飛び立ちたかった、、、それだけが、本当の望み、、、

1991.春 その12

あのホテルの前の地面に残された血のあとは黒くしみの様に大きく広がっていたがやがて何にもなかった様に砂利や砂に打ち消されなくなり消えた。
しかし俺の頭の中にのこった真っ赤に染み渡るあの血の海は強烈に鮮明で、匂いさえも漂わせ、俺の脳裏に焼きついて離れない。赤くて、、、黒くて、、、ドロドロとして、、、
社会主義国家はあえなく幕を閉じ、民主主義国家エチオピアが誕生し、道には人々や車がいつものように行きかう、、、あの、戦慄のあった上にも、、、
そんな日、アデイスの空はいつもよりいやに晴れ晴れしい、、、
あれから何日たったのだろう?、、、俺には何の意味もない日々が淡々とつづき、部屋には何の意味もなく浪費されたホテルの請求書が確実に届くだけ、、、その請求書を見て俺は驚いた。部屋代、食事代の後にエクストラチャージなるものがその代金の50%つけられている、、、通常つけられるサービスチャージにTAXだってこんな戦下の中、どこに払われるのかわからないTAXなんてものも信じられない位なのに、エクストラチャージ50%は何なんだ!!俺はフロントに抗議をしに一目散に向かった。フロントには今まで何もなかった様に4人のホテルマンが澄ました顔をしていた。(これは一体何なんだ!)俺はいきなり興奮して言った。そんな俺にはお構いなしにホテルの奴は澄まして、(戦争チャージだ!!)と、、、冗談じゃない!!!俺たちは泊りたくもないこのホテルにカンズメになり、ろくな食事やサービスも受けてやしない、、、それにベットメイキングも一度だって来やしない、、、俺は尚興奮した。奴の説明によれば、このクーデターでたくさんの木やさく、ガラスが壊され、その修復にたくさんのお金がかかり、お客様から50%のエクストラチャージを頂いてもまだ足りない、と、、、すごくもっともらしい回答に、俺も少しはさくを壊している事で後ろめたい気持ちに、一度は気が引けたがそんなのこいつらにわかるはずもなく関係ない!!俺はまた興奮して(ふざけるな!お客の俺にそんなの関係ないだろ!!払うものか!!!)と言い放つと請求書をたたきつけてフロントを去った。
だいいち、そんな高いホテル代払う金は俺にはもうなかった、、、
そんなどうしようもない毎日を淡々とホテルのプールで過ごすしかなかった。いつ空港が開くのかわからず、それにエアチケットだってボンベイでデイスカウントで買ったもの、使えるかすらわからない、、、
プールサイドにはどこにこんな人達がいたのだろうと思う位、いろんな国の人々が本を読んだり寝そべったりしている、、、どこへ行く事もできない今、無理もない、、、
俺はいつも持ち歩いているトランクス型の海水パンツで日光浴をしていた。トランクス型の海水パンツはパジャマがわりになるのでかかさない、、、以前、ホテルで真っ裸で寝ていたらばい菌が入ったのか、尿道炎になった事があるのでそれ以来ずっと、、、
ここであんな死闘が繰り返されたとは嘘のよう、、、みんなのんびりと思い思いにくつろいでいる。そんな中、いろいろな国の言葉が行きかう、、、俺は何か心地よい言葉の響きに耳を傾けた。懐かしく、何かすんなりと心になじむ、、、スペイン語、、、スペインから来たのだろうか、無邪気な小学生位の子が親とじゃれあっている、、、ああ、、、
俺の誕生日一緒に祝うはずだったアニンとはあれから連絡を取ってない、、、いや、取れなかった。どうしているだろう?、、、これから俺はボコタに行けるだろうか?
いつ飛行機が飛んでもすぐにでもそれに乗りコロンビア、ボコタへ、、、アニンの待つボコタに帰りたい、、、
しかし俺には金がない、、、たとえ金を取りに日本に帰ったところで三ヶ月も四ヶ月も今まで音信不通で会社などどうなっているのか、、、いや、あの支払い、、、あの支払い、、、待っているのは山と積まれた請求書、、、路頭に迷う社員だけ、、、いっそこのまま逃げてしまおうか?、、、
お金のないままボコタに行ってもアニンは俺をいつものように向かえ入れてくれるだろうか?、、、何なんだ!、、、俺はお金でアニンを買った訳ではない!何より愛していた、、、
アニンには実は9歳の娘がいた。俺の子供ではないがエレメンタリースクールの学費もちゃんと払っていた。住まいであるレジデンシャルテケンダマのペントハウスだって、二人をボコタでは何不自由なく生活させていた。二人を何より愛している、、、それがこんな事で金がないまるごしで帰って来たからといって、冷たくあしらうのか?、、、そういえばお互いの生活の事や生き方など真剣に話した事はない、、、考えた事すら初めて、、、
自分で、、、自分自身で追い詰められる、、、
何不自由ない生活をさせていたのに、、、
ほしいものなんでも買ってあげたのに、、、
愛しているなんてささやいていたのに、、、のに、のに、のに、、、
結局、自分のため、自分自身のため、自分のエゴのため、相手の気持ちなど考えてもいなかったにちがいない、、、
そして、、、日本の美香の元へ帰るのか、、、
なにくわぬ顔して、あたりまえの顔して、甘えた顔して帰るのか、、、
なんて自分は醜く、身勝手な男なのか、、、
人に意見などとんでもなく、愛するなんて資格はなく、愛される価値はない、、、

ブエノスデイヤス!コモエスタ、ビエン?ムーチョグスト!
俺は、精一杯の笑顔で子供に声をかけた、、、目は赤かった、、、

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