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2008年5月

そろそろジムでも行こうかな~と思っていた午後4時、
めったに相手の方からかかってきた事がない塚本氏から突然の電話、、、「どうかしましたか?、、、」
「今晩そっちに行こうと思って、、、」俺は少し動揺した自分をかくしながら「それでは、ホテルとっておきますよ。ゆっくりサウナでも入って飲みましょう!!」
電話を切ってすぐ 鹿嶋駅前のホテル鈴章をとり、料亭花壇に予約を入れた。東京から車で来る塚本氏を待っている間、いつものようにジムのランニングマシーンに乗り今までの事を思い出していた。
1995年、パートナーであったインド人のクマンにはめられて会社ごと全部もっていかれ 途方にくれボーとしている時、塚本氏が
「尾茂くん、何がしたいの?」
俺はぼそっとつぶやいた、、、
「レースがしたいな~ 競馬じゃないですよ!自動車レース、、、
レースなら勝てるかもしれない、、、」会社もっていかれて途方にくれている矢先 よくも軽く軽く言えたものだ。
「尾茂くん、いくら欲しいの?」
すかさず俺は「エンジン開発してシャーシーはオリジナルで参戦したい!!唯一世界共通のレギュレーションで戦えるF3ですね、塚本さん!!5億ほどもあれば、、、」ちゃんとしたみたてもなかったが これも軽く軽く言ってみた。
「う~ん、、、」塚本氏は大きくうなずき、大きくタバコを吸って
「尾茂くん、5億はないな~ とりあえず1億5千万でやってみな~、、、」無造作に差し出した現金を俺は「それでは少し足りない」などと説得する事などできず すでに抱きかかえていた、、、
それから6年 レースレースで結局5億以上使ってしまい 敗れた
俺は今度はオンド・マルトノだ!って訳のわからない楽器にのめりこみメジャーにするには世界で初のオンド・マルトノの美術館だ!
って2年の歳月に4千万ほども使ってしまった。

予約を入れておいた花壇の個室で二人、、、
不安を打ち消すようにハイテンションで俺は口でまくしたてた。
「もう少しですよ!!オンド・マルトノ、、、早く聞かせたいな~
いい音色、、、」そんな上付いた話には乗らず落ち着いた表情で
穏やかに塚本氏はつぶやいた。「尾茂くん、そろそろ東京に戻ってきなよ!、、、そんなに引きこもってないで、、、東京でオンド・マルトノ早く作りなよ、、、応援するからさ~」俺は引きこもりなのか!?引きこもって逃げ隠れするように鹿嶋で過ごしていたと言うのか!?、、、俺は自分でもわかるぐらい肩がガクッと落ちるのも、ハイテンションだった気持ちが落ちて行くのも、それまでワインにまかせて赤らめている顔の色が落ちていくのもわかった。
考えてみると美術館もオンド・マルトノが思うように作れない自分からの逃げで作っていたような気がする、、、
この時初めてそんな自分に気づかされた。
「塚本さん、浅草の倉庫貸してください!!あそこに俺、工房作りますよ!!俺が行けば毎日掃除して庭もチョー綺麗になりますよ!!」そんなちゃっかりした自分にははなはだ嫌気がしてはいたが、俺はガクッと落ちた肩に気持ちを持ち上げて自分をもう一度奮い立たせるように言い放っていた、、、
オンド・マルトノ ラボラトリーの始まりだ。