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1991.春 その2

ボンベイ国際空港、、、
ボンベイから飛び立つ便はたいてい夜中、この日もアデイス経由ナイロビ行きのエチオピア航空も12時すぎの便だった。5,6時間でアデイスに到着、、、アデイスの空はもう太陽でいっぱい、2時間くらいの空港待ちで飛び立ちナイロビへ、、、、のはずだった、、、
トランジットルーム、ほとんどはケニヤ人であろう、アフリカ系の人々、おでこを見ればすぐわかる。アデイスからは1人もこのトランジットルームに入って来る者はいない、、、
出発時刻を30分過ぎてもいっこうに搭乗する気配がない、まあ、こんな国はこんなもん、、、
すずしい顔して待っているほうが健康のためだ。そうこうしているうちにパタパタパタ!
Boarding panelの下の段が動いてDELAYの文字、(もしかして今日はナイロビに着くの無理かも、、、)そんな思いもまもなく、ものものしく軍服を着て銃をさげたやつらが数人バタバタ入ってきた。俺はどんな事情かがわかるすべもなかったが一瞬で(あー当分このアデイスを出れないなー)と言う思いが脳裏をよぎった。それより何より俺のショルダーバックには30万ドルほどの現金が、1000ドルずつ束ねて1万ドルずつ輪ゴムでとめて30束きれいに入っている、、、ヤバイ!!!肩にかけていたショルダーを俺は無意識に脇にしっかりかかえていた。あっと言う間にトランジットルームはそいつらに囲まれて列をつくらされ入国ゲートへと誘導された。もちろんショルダーは小脇にかかえて、、、いや、そんなに大切そうにかかえていては怪しまれる、、、そう思うといつものように肩にかけなおした。入国ゲートでの荷物検査がはじまった。いつものイミグレーションのやつらではなかった。銃を肩に背負ったエチオピア人民主義戦線のやつらだ。俺はこんな切羽詰った時、いつでもなんとかして切り抜けてきた。イスラエル、テラビブでダイヤを持ち出そうとしてつかまった時も、バンコクで10万ドル以上の現金を持ち込み申告しないで入国した際イミグレーションでとがめられた時も、、、なんとか必死に話して難を逃れていた。
この時も(大丈夫、大丈夫、なんとかなるから、、、)たかをくくっていた。
俺の番、やつは肩にかけているショルダーをガサツに取り上げチャックを開いた。そしてバックの底に手をもぐらせて、たやすく現金の束が入った茶封筒を取り出した。(なんだこれは!こんなBig Moneyはこの国には持ち込めないぞ!)ちょと勝手が違う、いつもならここで眉間にしわよせて(この国って、俺はトランジットで来ただけだろー!入国なんかしたかないんだよ!)くってかかるはず、、、だがやつらは銃を脇にかかえ数人こちらに銃口を向けている、たしかにいつもと違い殺気立っている。周りの奴らも異変にきずき集まってきた。ヤバイ!!!もめたりしたら、、、ものすごい危険と重圧に身がすくんだ。
何も言えない自分が情けなかった、、、
英語もしゃべれず現地の不良に絡まれて身をすくめている日本人観光客のようで情けなかった、、、それにまして消えてなくなろうとしている目の前にある30万ドルの現金、、、
それまであったショルダーバックの重さの数十倍が俺の肩に重くのしかかった。
パスポートまでも持っていかれた。
そのまま列をなして空港の外に出されるとそこにはエチオピア航空の赤いバスがまっていた。そのままバスは1時間ほど走っただろうか、街のホテルに着いた。その途中の道のりは車が1台も走っておらず寒々しく思えた。ここはアフリカ、エチオピア、アデイス、、、
アデイスは標高2600mのところにある都市、アフリカとはいえ20度位の気温で湿度がなく過ごしやすい、、、いつもならこんな空気をいっぱい吸いワクワクドキドキするのだろう、、、そんな場合ではない。ホテルは二つ星位のままりなりにもいいとは言えないホテル、俺は(こんなところでいつ帰れるかわからない夜を過ごすのか、、、)と思うと悲しくてしかたがなかった。それよりなによりボコタのアニンはどうなっちゃうの?日本においてきた美香は?、、、どうなるの、日本の会社は?!俺が最低でも来月には資金繰りしないとパンクしてしまう!、、、果てしない不安に占領された頭が先に悲鳴をあげてパンクしていた、、、
毎日、空港職員がホテルに来てホテルのアコモレーションバウチャーや食事チケットをくばっておぼつかない説明に追われている。そんな、霧でおおわれ前がかすんで見えるような1週間をこのホテルで過ごしていた。
そう、俺がちょうどアデイスに着いた時エチオピア人民主義戦線の手によって空港閉鎖されクーデターが起こっていたのだ。そしてこの1週間、水面下でロシア寄りの社会主義軍事政権とにらみ合いがつずいているのだ。その時、、、
ホテルに背広を着てネクタイを締めたこの国にはにつかわぬ日本人が俺を訪ねてきた。
嬉しかった、、、すごく、、、
(尾茂さんですか?私は日本大使館員の五十嵐といいます。ここは明日からちょっと危なくなるのでホテルを移りましょう!)そう言いながら名刺を差し出した。名刺には、日本大使館 2等書記官、、、とあった。彼は(大使および他の職員、それから日本人住人の方たちは1週間前までに国外退去しています。私一人とエチオピア人職員が大使館にのこり
情勢を見守っていたのですが、空港の知らせで到着した最後の便の搭乗者リストに日本人らしき名前があると聞き、まさか!と思ったのですがー、、、尾茂さんは新聞をお読みにならなかったのですか?)その言葉は俺の胸にぐさっと突き刺さった。これまで、仕事仕事で新聞などまったく興味がなく目にする事といえば外貨レートと地金の値段、社会覧や政治覧など見た事もなかった。俺は俺の生き方、、、社会や政治など蚊帳の外の出来事で関係なく思え、そんなうがった見方をしながらダイヤで天下を取るんだなんていきまいてた自分が汚く醜く小さく見える一瞬だった。まさに蚊帳の中、、、
その後に五十嵐さんは胸の内ポケットから赤いパスポートを取り出して(あっ!これ尾茂さんのパスポート。空港職員が渡してくれましたよ!)おいおい、それを先に言ってくれよ、五十嵐さん、、、さっきまで汚く醜く小さく見え反省していた自分なのに、、、赤い自分のパスポートが戻ってきた瞬間、胸にペンシルをあてたウルトラマンのようにすべてを忘れ俄然大きく成り上がってしまった。人間ちゃっかりしたもんだ。うかれついでに空港でパスポートと一緒にお金もとられてしまった事も言って助けてもらおうとしたが瞬間それはやめにした。言ったところでお金は戻ってこない事はわかっていた。それより新聞を読んでいなかった事を言われ傷ついていた俺が尚みじめに成り下がるのがいやだったから、、、
(こんな政情不安なアフリカを訪れるのに新聞も読まず、ましてや30万ドルなどの大金をキャッシュで持ちながらフラフラと、、、尾茂さんの責任ですよ!尾茂さんバカですよ!)
そんな声がフッと聞こえてきた、、、

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