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1991.春 その14 完

ゆっくりゆっくり時は流れていく、、、
つらい時も、悲しい時も、嬉しい時も、、、
ゆっくりゆっくり時は過ぎていく、、、
思い出と言う余韻を残して、ゆっくりゆっくり流れていく、、、
一生懸命生きようとも、怠けて生きようとも、おもしろおかしく生きようとも、、、
同じ時を刻んで、ゆっくりゆっくり過ぎていく、、、
でも、去り行く現実はすばやく、早い、、、つかむのは難しい、、、

俺がアディスにつかまり、音信不通になっていたのはもう四ヶ月を過ぎていた。
このクーデターの中、どうあがいてもしょうがないとたかをくくっていた俺だったが、会社の事とか、お金の事とかが気になりだしてきた。支払いとか、給料だとか、、、通常、会社は約束手形とか振り出していたら、どんな理由があろうとも支払いは待ってはくれない。銀行に残高がなければパンクする、、、それを二回繰り返せば倒産だ!俺の会社はいっさい約束手形は振り出してはいなかった。以前、手形金融をやっていた俺は、いやと言うほど手形の苦しみは知っていたから、、、回し手形や融通手形、買い手形に売り手形、、、何億ものお金が、手形と言う紙切れに化けて宙を舞う、、、そんな、醜い紙切れに化けて出られたら人間なんてもろく吹き飛んで、むごたらしく消えていく、、、いっそ、あの弾薬庫の爆発で吹き飛ばされたステイーブのように、爆弾で木っ端微塵に吹き飛んだ方が、綺麗で美しいのかもしれない、、、人間は、、、あれも、これも、現実、、、

来週、イタリアからアリタリヤ航空がチャーター便を出すと言う情報がホテルに舞いこんで来た。やっと、出国できるかもしれない、、、そう思うもつかの間、ジャーナリストの一人が俺に耳打ちした。(あくまでもイタリア人救出のためのチャーター便なので、イタリア人優先で、空いた席があれば乗れるかもしれない、、、)と、、、おいおい、じゃーなにやっているんだよ、日本は!JALが飛んでくるのはいつなんだよ!!俺の馬鹿さかげんでアデイスに舞込んだ一人のためにJALが飛んでくるはずもなかった、、、
とりあえず、荷物まとめてその時、空港に行こう!そうすればチャンスはあるはず、、、俺一人何とかなるはず、、、香港でも、フィリピンでも、バンコクでも、ボンベイでも、いつもどうにかしていた。こういう時、一人は強かった、、、
そんな悶々としていたロビーに大使館の五十嵐さんが俺を訪ねて来た。(尾茂さん、いろいろ大変でしたねーいよいよ空港再開で飛行機、飛ぶそうですよ!)(それって、イタリアからのアリタリアでしょ?)(そうそう、でも次の日、エチオピア航空も飛ぶそうです。二つでトライしましょう!私も空港行きますから、、、)心強い五十嵐さんの言葉に、俺は俄然元気が出た。後先考えずとにかくアデイス出国だ!
イタリアからアリタリア航空チャーター便が飛んで来る日の朝、五十嵐さんが運転手と共にホテルに迎えに来てくれた。車はもちろんあのジープ、、、玄関まで引いて待ってきたスーツケースを運転手は無言のままさっと取って荷台に入れてくれた。荷台には綺麗にたたんだ日の丸の旗がそっと置かれていた、、、バタン!と荷台のドアを閉めると運転手は後ろのドアをサッと紳士的にわざとらしい振る舞いでニコッと笑顔で開けてくれた。(さあ!大使!)ってな感じで、、、俺たちはわかっていた。あの、必死で銃弾から逃げのびた、あの時の思い出を、、、二人はボンネットにある銃弾の跡を目線でぬぐって顔を見合わせた、、、
無言の会話がなぜか心地いい、、、
空港に着くともう、人だかりで長い列ができていた。俺はスーツケースとバッグを持ったまま列の最後尾に並ぶ事にした。五十嵐さんが(尾茂さん、ここで並んでいてください、カウンターで僕が聞いて来ますから、、、)すこぶる親切だ。後は五十嵐さんに任せよう!
しばらくすると、五十嵐さんはボーデイングパスを持って戻ってきた。(尾茂さんこれ、、、とにかく、ボーデイングパス。)乗れないかもしれないが乗せられるだけ乗せるとの事、、、
みんな荷物が多くて飛行機のバランス上、シート全部の人数乗せられないらしい、、、まあ、白紙のボーデイングパスでももらえただけラッキー、チャンスがあるって事だ。俺はここまでやってくれた五十嵐さんと運転手に感謝して帰ってもらう事にした。何時間待たされるかわからないから、、、(五十嵐さん本当にありがとうございました!いろいろ僕のためにご迷惑おかけしまして、、、)(これから尾茂さんはどうなさいますか?予定通り、ザイールに?、、、)(いや、たぶん日本に帰ると思います。お金もありませんし、、、)(それがいい、日本のみなさんも心配している事だろうし、、、)(ええ、、、また、五十嵐さん会いましょう!絶対、来ますよ!アデイス、、、)そんな会話で五十嵐さんと運転手と握手をかわし別れた。
2、3時間待っただろうか、、、いよいよ、搭乗が始まった。おしくらまんじゅうのようになかば強引にズンズン列が前進する。そしてピタッと止まった。俺の前の人のところで今日の搭乗は打ち切りだった。残ったのは20~30人だっただろうか、、、乗れない事に腹を立てて騒ぎ出すものもいたが俺はいたって冷静、、、ホント言うと出国は早いところしたかったが、このアリタリアに乗れたところでローマかミラノでしょ?イタリアに行ったってその後のチケットは持っていない、、、お金もないし、、、今だから言ってしまうけれど、ホテルの支払いはどうしたっけ?、、、俺は払った覚えはない、、、別に逃げてきた訳じゃないし~、、、ちゃんと日本大使館の人に送ってきてもらったし~、、、こんな時に常識なんてものはない、、、ホテルチャージ、一日、200ドルとしてX120日以上、24000ドル、これに食事代にエクストラチャージ50%、、、しめて36000ドル!!払うものか!
ゲッ!今日は飛行機乗れず、あしたのエチオピア航空が飛ぶまで空港内で泊るはめになってしまった、、、ホテルの奴らが追いかけて来ないだろうか?、、、どーしよー?トイレにでも寝ようか?、、、
アデイスに最後の日が暮れる、、、
ものすごい日差しに目が覚めた。空港待合室のシートの上でスーツケース抱えたまま寝てしまった。ホテルの奴らは追いかけて来ないみたいだ、、、
空港は今日も人でごったがえしている。でもよかった。昨日、並んでいた俺たちは優先して空港待合室に入っており、先にチェックインをしてくれた。スーツケースも空港職員が運んでくれた。もうこれで確実、出国だ!あれ?何処へ行くのだろう?、、、渡された新しいボーデイングパスを見て初めてわかったありさまだ。ナイロビだった。予定通り、、、4ヶ月遅れの予定通りの空路、、、その後の事はナイロビのホテルでゆっくり考えよう!、、、

エチオピア航空はいつも小さなおんぼろ飛行機、、、何十年落ちの飛行機だろう?、、、いつ落ちてもおかしくないんじゃない、、、
人は本当に危険に身を置いた時、それに気づくのだろうか?、、、
危険と言う現実は経験と共に消化され時と共に過ぎていく、、、それに気づく時、経験となって回避する、、、でも、たとえば、落ちる飛行機に乗ったら経験にはならず現実と共に消えてなくなる、、、
でも、人はそんなものに知らず知らずのっかって人生、生きている、、、
久々に乗る飛行機の窓越しに見えるアデイスの町は、朝日に赤く輝いていた、、、
アディオス、アディス、、、アディオス、スティーブ、、、

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