今思う、、、
オンド・マルトノとの出会いが本格的にクラシック音楽との出会いだった。
幼稚園のころだったかよく親父がステレオでクラシック音楽を聴いていた事は覚えているが俺は音楽よりステレオの方が興味があっり、親父がいないうちに中を開いてみては何か研究していた覚えがある。ある日、ふたを開けてみたが組み立てられなくなって、俺はヤバイと思い後ろのふただけ閉めて黙っていたが次の日曜日、親父がレコードを聴こうとした時スイッチが入るが音が出ない事にすぐさま(直之がまた中いじっただろ!!)って、、、
正座させられていつも怒られていた。その後親父が(これいいだろう、、、)と言いながら買ってきたアンプやスピーカー、チューナーなどすべて壊してやった。それにもめげず親父は新しいもの、新しいもの買ってきた。俺の研究材料!、、、
それでクラシック音楽嫌いの引き換えに、めっきりオーデイオに強くなった気がする。。。
俺はステレオアンプをつくるのも好きだが、配線や半田づけの様子、抵抗やコンデンサーの取り回しを見るのが好きだ。ステレオアンプと言っても今のトランジスターやデジタル物ではなくもちろん真空管アンプだ。昔の真空管アンプには今の主流になっている基盤なんて物はなく、直接、抵抗やコンデンサーを真空管の足にうまく取り回して半田づけしてある。その取り回しは作者によってまったく違い、それを見ているとその人となりが俺にはわかる気がする。抵抗やコンデンサーの足をニッパーできちっと直角に折り曲げてすべてのパーツを平行、垂直に神経質に並べて配列している物や、まったく無造作につけている物やら、、、半田づけもてんこ盛りにしている物や必要最小限につけている物。すべて人がそこには出てきてしまう。人間そんなに何をするでも変われないものだから、、、
現実的にも乱雑なパーツの配列や半田のてんこ盛りはノイズを拾ってしまい音は良くない。
そこにはいろいろな経験や性格、思惑が出て、音として帰ってくる。
今までいろいろなつくりを見てきたが日本人のつくった物はすばらしい、、、ヨーロッパやアメリカでそこまで神経質にとがらせてつくっている物は見た事がない。。。
モリス・マルトノが初めてつくった真空管のオンド・マルトノを俺はつくりたかった。
今までやってたステレオアンプや無線機のすべてがそこにはあったから、、、それにあの音色、、、俺がつくったオンド・マルトノであの音色が出せるなら。との思いでつくり、パリに住んでいるモリスの息子、ジャンルイに見せに行った。俺は自慢げに裏のふたを開けてパーツの取り回しやら半田づけを見せた。ジャンルイはそんな俺にモリスがつくったオンド・マルトノの裏ぶたを開けて中を見せてくれた。そこにはヨーロッパやアメリカでは見た事のないパーツの取り回しや半田づけがあった。そして各所にアースの取り回しの苦労があった。俺にはわかっていた、、、アースの取り回しで音色が微妙に変わるのはもちろん、
音程が安定するように各所にアースを取りロックしている事を、、、
モリスは突然のバイクの事故により、今はいない、、、もちろん俺は会った事さえもない、、、
しかし、、、絶対に俺はモリスと話している。
それは電気や電子、、、見えないものとのアナログ的戦いと、神経質までに並んだ抵抗やコンデンサー、きちっと巻かれたコイル、モリスには到底かなわないが俺はずっとずっとやってきたから、、、そこから日常生活や現実がかいま見れる、言いたい事も伝わってくる、、、
時には涙だって出てくる。これが会話ではないなら何?、、、
俺はオンド・マルトノをつくりだして、モリスのやってきた道筋をたどらなくてはいけないと思う。真空管で苦労して苦労して、、、結果、トランジスターに行く過程を、、、そこには折り合いをつけ妥協がある、、、しかし人間、妥協は苦労した上での結果であり、ただの頭の知識だけでは進まないもの、、、ただのまねではオンド・マルトノはありえない楽器。。。
ジャンルイは言った、、、
(Nao、、、父はね、、、この真空管の楽器100台少しをつくったがため毎日毎日、調律に明け暮れほんろうし、大変苦労した。そして僕たち家族もまた苦労した、、、それをずっと見てきてねー、、、)ずしっと重い言葉に俺は返した。
(たどらなくれはいけない道があるから、、、)
ジャンルイは平手を上にむけておどけた顔をして、首をかしげてた、、、