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1991.春 その7

1Fロビーのレストランカフェ、、、夕食もビュッフェ形式、まあ、いろいろ種類もたくさんあるし、ビールにワインもある。
こんな時だ贅沢は言ってられない。。。でもこのチャージどこにつくのだろう?もちろん部屋につくんだろうなー、だけどウエーターもいなければホテルスタッフもいやしない、、、
どうやって食べたか、食べないかチェックするのだろう?ドリンクだって、、、こんな時だどんどん食べてガンガン飲むにかぎる! 俺と渡辺さんはこの日はもくもくと食べて口数は少なく、他の事を考えているようだった。散々な事がこの一日よくあったものだ。考えてみるとここにこうしてくつろいでいる事が不思議な位、いろいろな事が、、、
つかれている二人は早々、お互いの部屋へ帰る事にした。
翌朝、俺が目を覚ますまもなく渡辺さんがノックをして尋ねてきた。
1F会議室でエチオピア人民主義戦線、代表の記者会見があると言う、、、記者でもない俺を親切にも誘ってくれた渡部さんにいそいそとくっついて行く事にした。こんな経験も滅多にあるもんじゃない、、、好奇心いっぱいの俺は何か満足げ、記者でもないのにノートとペンを持っていた。
会議室は世界各国のジャーナリストや記者、テレビ関係者でいっぱいだった。その中段あたりに開いている席を見つけた渡辺さんは堂々と席に着きとなりの開いている席を指差して俺に手招きした。記者でもない俺は少し遠慮していたがそんなそぶりも見せず堂々と席に着いた。もう記者になりきるしかない!そう腹をくくっていた。
演台に立ったエチオピア人民主義戦線の代表は、カーキ色の軍服を着て少し小柄だったが口ひげはきれいに手入れをしていて小奇麗だ。15分ほどの声明だったが難しい単語の連発で内容がよくわからずじまい、、、白いノートにペンを持っていた俺は何も書けず冷や汗がたらりとものすごい恥ずかしさに、、、隣の渡辺さんに横目をやりきずかれないうちにノートを閉じて腕組みをしていた。いろいろなところで英語を使ってきたがこんなわからなかった事はなかった。やはりきちんと学校で英語を学んでこなかった証拠だろう、、、これまでビジネスでもプライベートでも相手がいて目的があって、こちらの言いたい事を相手がくんでくれ相手もやさしいわかりやすい言い回しで言ってくれているのだろう、、、
常に多くは一対一の会話でお互い分かり合っていたつもり、まったく自分の語学力のなさに痛感させられた一時だった。
渡辺さんは黒い手帳に声明の内容をスラスラ書いている、、、その内容によれば、(社会主義軍事政権の奴らはすべてパレスに篭城し、こう着状態がつづいている。再三の降伏を呼びかけているがもう話し合いの余地はない。すでに社会主義軍事政権は地に落ちている。これから我々エチオピア人民主義戦線のもと、民主政権を確立していく。我々は明日か明後日、パレスに総攻撃を開始しいち早い社会主義軍事政権の降伏を突き進める考えだ。)と言う事。いよいよかと言う緊張感が会見場全体に伝わった。
俺は、言葉では淡々と言っているが実際は攻撃が始まれば社会主義軍事政権の奴らすべて無残に殺されてしまうんだろうと思い、ゾクッとしていた。
さあ、いよいよだ!、、、そう思いながら部屋へと戻った。

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